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親父と林檎15

「親父、さまよってんだな」
俺は林檎を触りながら言った。
「昨日もさ、あたしが寝ようとしたら、後ろを通っていったのよ」
母が暗い声で言った。
「へぇ」
俺は気のない返事をした。
「あっ!と思ってふり返ったら忠が」
母は廊下の方をじっと見た。
「四つん這いで風呂場の方へ消えたのよ」
俺は唾を飲んだ。ゴクリとでかい音がした。
「親父、四つん這いでさまよってんのかよ。人間じゃなくなっちゃったのか」
「死んでるからね」
「死ぬと動物みたいになっちゃうのかよ。
馬鹿か。そんな訳ねーだろ」
「なんでだろうね」
母が頬に手をあてた。
「なんでじゃねーよ。ちゃんと供養しねぇから親父が動物みたいになっちゃんたんじゃねぇか」
母は真っ赤な目で俺を射すくめた。
俺のきもは冷えた。
こういう感じはガキの頃、おねしょをしてひっぱたかれた時以来の感覚だ。
母は容赦なくガキの俺を引っ叩いた。
なんで母にこんな目にあわされるのか。理不尽だ。俺は泣き叫ぶしかなかった。誰も助けてくれない。誰もだ。助けてくれるはずの母が鬼なのだから。あの時は泣き叫ぶ俺を玄関までひきずっていき外へ締め出したんだったな。俺は世界の終わりみたいに声の限り泣いたんだ。通りがかりの見ず知らずのおばさんがびっくりしてたっけ。今でもあのおばさんの驚いた顔が忘れられない。あの家は子供を虐待しているんじゃないか。そのあと憐れみ混じったの目も。
あの時は結局どうしたんだっけ。
まあ、母の気がしずまってから、家に入れてもらえたんだろうなあ。
しばし、俺たちは黙り込んだ。空気が淀んでいた。
「ねぇ、あんたが忠を連れて帰ってくれない。あたし、何だかアレがいると調子悪いのよ」母が言った。
「はっ?」
俺は聞き間違いかと思って母を見た。
「だから忠の骨持ってってよ。骨に忠の霊がくっついてると思うのよね。だから持ってっていいわよ」
「持ってっていいわよじゃねぇよ。骨は墓に入れてやれよ。一応墓があるんだからよ」
「だって婆ちゃんと一緒の墓穴に入れる?嫌がるんじゃないの。忠にしてみれば赤の他人よ」この後に及んでなぜそんなところに気を配る。母の思考回路はさっぱりわからねぇ。
「だって義母だろう?義理だろうと母なんだからしょうがねぇじゃねぇか。じゃあ、なんだよ。親父専用の墓を建てんのか?寝言言ってんなよ」
「だってさ、生前、散々婆ちゃんに小言言われてしょぼくれてたのに、あんな狭い穴にふたりっきりじゃさ」
「じゃーあんたが死んで一緒に墓に入ってやれよ。3人で仲良く墓で暮らせよ」
「あんた、なんて事言うのよ!あたしが死んだら困るでしょうが!」
母が座卓をどんと叩いた。林檎がごろごろ転がって畳に落ちた。俺はため息をついて林檎が転がっていくのを目で追いかけた。
「毎日、肩が重いのよ!忠があたしに取り憑いてんのよ!もう!いい加減にしてよね!」
母はヒステリックに叫んだ。
また座卓をガンと拳で殴った。
「俺がさ、骨を連れて帰って、ここに親父出なくなれば満足か?違うだろ。親父がかわいそうじゃねぇのかよ」
「かわいそうったってもう死んでんじゃない。勝手に死んどいてあたしに取り憑くなんて忠の奴はどこまであたしを苦しめるんだ」
「あんたに優しくしてもらいたかったんだ」
「優しく?ふざけんな!甘ったれてんじゃない!」母は叫んだ。
「もう耐えられない!何であたしばっかりこんな目に遭うのさ!」
母は畳の上にガバッと伏せわめき出した。

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