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鼻のけもの バナナサンデー第17話

息子のことを思い出すとやるせなくなる。
胸か重苦しくなる。
自分がなんのために生きているのかわからなくなる。
それでも、生きていかなければならない。
意味などないのだ。生きることに。
意味がないならば、抜け殻だろうと廃人だろうと呼吸をし、飯を食い、眠り、まったく意味のない己を生きるしかない。
店主はまた煙草が吸いたくなった。
やるせなさが煙草を求める。
自分の無力さと浅はかさを眼前に突きつけられ目を逸らすことも許されないならば。
緩慢な自殺のように煙草を吸いまくるしかないだろう。
だが、まだ客がいる。
店主は虚しさを持て余した。
仕方ないので味見と称して煮えたばかりの切り干し大根をつまみ食いすることにした。
豆皿に菜箸でひとつかみホカホカの切り干し大根を盛ると指でつまんで口に入れた。
煮えたてなので味が馴染んでいないが、これはこれでいける。椎茸の味が強い。甘みのある切り干し大根の味が落ち着く。
鼻のけものは店主が咀嚼する切り干し大根の味を想像してよだれが出た。
鼻のけものは人間の感情をエサにしているので人間のように物を食べることはない。
だが、人間が美味しそうに物を食べていると羨ましくてたまらなくなる。
(いいな、いいな。切り干し大根!いいな、いいな。バナナサンデー!)
鼻のけものはぴょんぴょん跳ねたくなった。
しかし、今は店主の鼻の中にいるので跳ねるわけにはいかない。
鼻のけものがじりじりしながら身悶えしていると店主は切り干し大根が空腹の呼び水になったのか、まかない飯を食べることにしたらしく炊飯器を開けた。
もわぁっとあったかい白飯の匂いが鼻いっぱいに吸い込まれてきた。
日本人が大好きな白い飯。
店主は大ぶりの茶碗に飯を盛ると菜箸で切り干し大根をドバッとのせた。
まったく簡易な切り干し大根のせご飯だった。大鍋に味噌汁が少し残っていたので店主はそれに刻みねぎをたっぷり入れてご飯とともに食べた。
物を食べている間は苦しみを忘れる。
店主は飯や煮物を噛み、飲み込む度に生きる哀しさも呑み込んでいるのかもしれなかった。
(それでは哀しみがたまる一方だ!)
鼻のけものは思った。
悲しみをためてもよいのかもしれないが、それだって健康によくない!と鼻のけものは思う。感情を押し殺していきると、心が病む。
人は肉体だけで生きているのではない。

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