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親父と林檎13

俺はアパートに帰ると仮眠をとった。
生ぬるい眠りの下で林檎の甘酸っぱい匂いを嗅いだ。待ってろ。親父。
今度は俺が親父に林檎を剥いてやるよ。
ホントは親父が苦しい時にそばに行って顔を撫で回してやればよかったんだよ。
ぶん殴ってごめんよ。ごめんよ親父。
浅い眠りの中で俺は5年ぶりくらいに直な心になった。もういい歳なのだからガキのように拗ねていては恥ずかしくて生きていけない。俺は今年22歳になる。
朝10時半。
俺は気合いを入れて母の電話番号を押した。この時間ならまだ寝ているだろうが、構わないだろう。こっちだって用事があるんだからな。かなり呼び出し音が鳴ったあとで押し殺した低い声で母は電話にでた。
「はい」
「俺だけど」
「あん、わかってるよ。聡だろ。何」
「昨日、俺に電話しただろ」
「したよ」
「俺に用があったのかよ」
母との短いやりとりに俺は思わず笑い出しそうになった。もっと情緒的な言葉はでないのか。
「あっ、そうだよ。聡!あんた今日は休み?家に来てよ。困ってんのよあたし」
母が急に思い出したように饒舌になった。
「行ってもいいなら行くけど。っていうか行こうと思って電話したんだけど」
「わかったわ。今から来る?」
「うん。今から行くで」
「じゃ来てよ」
言うなり母は電話をブツッと切った。
俺は長いため息を吐き出した。取り付く島もないものの言い方が母らしい。
母は困っていると言った。
あの女が困るなんて何だ?
どうせろくな事じゃねぇんだろうなあ。
俺は行くのをやめようかと一瞬思った。どうせ、ろくでもない話を聞かされて喧嘩になるのがオチだろう。だめだ。親父の事がある。親父はどうなっただろう。もう墓に入れちまったのだろうか。親父の遺骨。俺の顔を撫で回した大きな手。あの手はもうこの世にないんだ。長い年月のあいだに人は年齢を重ねて成長していくが同じ所をぐるぐるまわって成長しない奴もいる。俺の家族はみんなそんな奴らだという気がする。ぐるぐるまわって、まわって無駄に歳だけ取って、いつか足を踏み外して死んじまう。
婆ちゃんも母も親父も俺も。
思えば婆ちゃんは俺には優しいが母には冷たい顔をした。言葉にはしない。だが目線は母をいつも冷たく突き放していた。
マザー・テレサが言っていたけど愛情の反対は無関心なんだって。
話しかけても返事が貰えなかった時の絶望。いないもののように素通りされ、感情は跳ね除けられていく。
婆ちゃんはよその人にはこの上ない笑顔をみせたが、母に対してはいつも渋い顔をしていた。親父と結婚する時も婆ちゃんが反対すればするほど意地になっていったらしい。
そうやって母のひねくれた性格は形成されていったのだ。多分。

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