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ねこの孫8

テーブルに勢いよくビールの缶を置いて、響子きょうこいわおを見た。すでに目が据わっていた。
三嗣みつぐさん、女がいたんだって」
巌は響子の目をじっと見た。白目が血走っていた。昼間の沙絵さえの赤い目を思い出した。響子は妹のために怒っているのだ。
「それは…」
巌は言葉を探したが、おっかぶせるように響子は続けた。
「女がいたのは前からわかってたんだって。でも沙絵ちゃんは我慢してたのよ。そのうち別れてくれるだろうって」
「はあ…」
「そしたらとんでもない。向こうに子供ができちゃったんですって」
響子はまたビールをあおった。
「そんで、三嗣さんはさっさと沙絵ちゃん捨ててその女んちで暮らしてんですって」
「沙絵さん、どうするんだ」
「もう、ひとりで生きてくしかないでしょう」
「ひとりで…」
「だって裏切り者を許すわけにはいかないわ。わたしはやだ。三嗣の馬鹿野郎。沙絵ちゃんがかわいそう」
「響子が怒っても仕方ないじゃないか」
「ああ、むかつく。なんとかできないかしら。三嗣を殴りに行きたい」
「何言ってるんだ。冷静になったほうがいいよ」
巌は妻をなだめた。
そんな事があり、離婚が成立した沙絵は度々、響子に会いに巌の家へやって来た。
傷心の沙絵は姉に会うといくらか元気が出るようだった。
「タマがすごく沙絵ちゃんに懐いてるの。ねえタマを沙絵ちゃんにあげない?」
響子がそう言い出した。
紀子のりこが嫌がるだろう。タマは紀子が拾ってきたんだから」
「紀子はね。もうタマには飽きちゃったみたいよ。今度はハムスターが欲しいとか言ってるんだもの」
「俺はどうでもいいが。沙絵さんちはマンションだろう」
「沙絵ちゃんところはペット可なのよ。ひとりでいるより生き物と暮らしたら少しはいいんじゃないかしら」
響子が娘にどう言い聞かせたのか知らないが、タマは沙絵にもらわれていく事になった。
「タマいなくなってさびしいか」
巌が紀子に訊ねると、
「お母さんがね、紀子はお父さんとお母さんがいるけど、おばちゃんはひとりぼっちだからタマにおばちゃんの家族になってもらってもいいわよね、って言った」
「紀子はそれでいいのか」
「人生は諦めが肝心なんだよ」
紀子は口ではそう言っていたが、タマがもらわれて行った後、自分の部屋で泣いていたのを巌は知っていた。
親の前では泣かなかった娘。紀子はこの時、10歳だった。

つらつらと思い出していたら、まったく眠気は吹き飛び、巌は昼寝に失敗した。しかし、腹の上で仔猫の杏がぐっすり寝ているので起き上がるわけにもいかない。
困ったなあ。腹は温かいが。

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