鼻のけもの バナナサンデー第12話
あの地に打ちつけるような激しい雨。
不安をかき立てるような暗い空。
電話に出た十和子はまだ怪訝な顔をして、受け答えをしている。
「そうです。早瀬葉は息子です。…はい。私は葉の母ですが…。え?なんですか?葉が?……」
みるみる十和子の顔が変わる。
店主は葉に何かあったのだ、と動悸がしてくる。十和子が口を手で覆う。手の甲に小さなほくろがある。見慣れた妻のほくろ。耳朶を雨音が撃つ。十和子の青ざめた顔。
この雨の中を出かけなければならない。
葉は自分で歩いて帰って来れなくなったのだから。私達が迎えに行かないといけない。
店主は車の鍵をつかんだ。
そこで店主は目を覚ました。
何度も見た夢だ。くり返し見て、くり返し胸を締めつけられ何もかもを失った朝。
この夢を見ると半日気分が打ち沈む。
もうわかり切っている。
鼻のけものは店主の鼻の中でもぞもぞ動いた。店主が鼻をこする。
店主の夢。夢の中では隣に妻がいた。今はいない。夢の中では息子の心配をしていた。
今はいない息子。店主の予感では息子は…。鼻のけものは店主の喪失がわかったような気がした。
寂しさ、やるせなさ、喪失。
それは過去に体験した感情だったのだ。
鼻のけものは悲しくなった。
そうすると涙がこぼれた。
涙が後から、後から流れ落ちていった。
それはまるで店主自身の鼻水のように店主の鼻から流れ落ちた。
店主はいきなり冷たい鼻水が流れてきたので、慌てて起き上がるとティッシュの箱に手を伸ばした。
「…どうしたんだ。鼻水が…」
寝起きに鼻水が垂れることなど今までなかったので、店主は夏風邪でもひいたかな?と首を傾げた。
まさか、鼻の中に小さなけものが居て、そいつが店主の為に泣いているなどと夢に思っていなかった。
「さて、」
店主は仕事の事を考えはじめた。
今日のランチは何にするか。
レタスのサラダは忘れずつけよう。
昨日は豚のしょうが焼きだったからな…。
豚から鶏肉…チキンカツにするかな。
ポテトサラダを添えるか。
いや、レタスサラダの真ん中にポテトサラダを盛りつけよう。
よし、よし。そうしよう。
店主は居間へ行くとカーテンを開けていく。
朝はカラスやすずめがかまびすしく鳴く。
今の季節は南からやってきたつばめの特徴的な声がそれに加わる。
今日も蒸し暑くなりそうだ。
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