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鼻のけもの バナナサンデー第12話

店主はゆで卵の殻を剥きながら、やっぱりポテトサラダではなくてミモザサラダにしようと考えた。
ゆで卵を白身と黄身に分けて目の細かいザルでそぼろのようにする。
それをレタスの上に振りかける。
スライスした赤いパプリカを散らす。黄色がミモザの花のようにレタスの上に彩られる。色合いが優しい。
店主はうなずきながら仕込みを続けた。
鶏むね肉に薄く塩こしょうを振り、チキンカツの下準備をし、味噌汁用の出汁を大鍋に用意し、米を砥ぐ。
シュッシュッと音を立ててしっかり米を砥ぎながらも、店主の心は曇っていた。重かった。今朝方見た夢のせいだ。嫌な重苦しさ。あの記憶は、それに続く苦しい日々の幕開けだった。
店主は釜に米をセットし、スイッチを押した。今日の味噌汁は玉ねぎとじゃがいもにしよう。
店主はじゃがいもの代わりを包丁でするする剥いた。じゃがいもは男爵芋だ。
メークインは煮崩れないが、味噌汁に入れてホックリする男爵芋の方が店主の好みだった。
ランチの献立は主に店主の好みのものを出している。そうしないと作る意欲が湧かないのだ。
かつては喫茶店だったが日替わりランチとモーニングに力を入れて、コーヒーや紅茶の飲み物類はおざなりになった。
妻がいた頃は飲み物を淹れるのは妻の仕事だったのだ。
妻が出ていき、自分だけで営業をしようと考えた時、飲み物に力を入れるのは止めた。
全部、業務用の安価なコーヒーと紅茶にし、果物をミキサーにかけて作っていた生ジュースはメニューから消し、妻が考案したフルーツサンドイッチやフルーツパフェもやめた。それで客が減るなら、それで構わなかった。

息子のようが死んだ今、もう何もかもどうでもよかった。
それなのに、自分はあれから10年も生きてきた。信じられない。
葉がいなくなって時間が止まってしまったかのようだ。葉。葉。なぜ?
息子の葉は8階建てのマンションの5階から飛び降りた。
なぜ息子がそんなところから落ちる事になったのか誰も知らない。
路上で倒れているのを通行人に発見され、病院に運ばれた。その時は微かに息があったそうなのだ。
学校の帰りに、通学路でもない場所を通ってなぜそのマンションに行ったのだろう。
自殺。自殺という言葉が誰かの口から聞こえた。あれは、葉の遺体を確認しに行った先だったか。
警察の人が自殺の可能性という言葉を使った。息子さんの様子で変ったところはなかったか。今朝の葉。いつもと同じだった。
多分、おそらく。いや、自殺?
店主は自分が責められているような気になった。地の底に引きずり込まれていくような変な感覚。
妻は隣で泣きじゃくっていた。
その泣き声が遠のいて、自分だけ別の空間にいるような気さえした。

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