ねこの孫7
しばらくして、紀子が手ぶらで書斎に戻ってきた。憮然とした顔をしている。
「どうした?」
タマが見つからなかったのかと巌は思った。
「タマ、おばちゃんの膝の上で寝てた。お母さんが起こすのがかわいそうだからタマ寝せときなさいって」
不満を表すように紀子はドスンと座った。
「おばちゃんは猫好きだったのかな」
「知らない」
「タマは俺の膝には乗ってこないのに」
「タマは男が嫌いなんだよ」
紀子は不器用に少女漫画雑誌のビニールの包装を破って、気がなさそうにページをめくる。俺が子供の頃は漫画なんか買ったらすぐ食い入るように読んだもんだったがなあ。と巌は伏せた紀子のまつ毛を見ながら思った。
そうするうちに廊下から声がする。
沙絵が帰るようだ。
せめて見送りには顔を出そうと巌は腰を上げた。
玄関でハンカチを口に当てた沙絵の肩に響子は手をおいていた。
「また来てね。私もそのうち行くからね」
響子は妹に言った。
「お構いもしませんで、失礼しました」
ノコノコ出てきて申し訳ない、という顔をして巌も言った。
「お義兄さん、お邪魔しました」
沙絵の目は赤かった。沙絵と目が合うと巌はスッと視線を外した。
もう一度頭を下げて沙絵は帰って行った。
沙絵が帰ってから響子はおそろしく暗い顔をしており、巌は気が重くなった。できる事なら妻にはいつも明るくいてほしいが、生きている限り深刻な事態は常に起こるのである。
「夕飯、鮭のムニエルでいい?」
響子は巌に訊いた。
「俺と紀子はさっき食ってきたから、軽いもんでいいよ」
「何食べてきたの」
「あんずクリームあんみつと磯辺焼き」
「ああ、そう。ご馳走食べてきたのね」
響子は眉間にシワを寄せた。
「ごめん」
とりあえず巌は謝った。
「別にいいけど、じゃあ夕飯はそうめんにしよう」
響子はそう言って台所に行ってしまった。
しまったなあ。妻に持ち帰り用のあんみつを買ってくるのだった。そうしたら沙絵にも持たせてやれたのに。どうも俺は気が利かなくていけない。
その夜、紀子が眠った後、巌が居間のテーブルでビールを飲んでいると、
「沙絵の旦那さん、出て行っちゃったんだって」
響子が言った。
いつ、響子が沙絵の事を言い出すかと待ち構えるような気持ちでいた巌はきたか、と思った。
「わたしもビール飲もうっと」
響子は冷蔵庫からビールを取ってきた。缶を開けるとそのまま口をつける。ごくごくと動く白い喉を巌は怖いものを見るような気持ちで見つめた。
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