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鼻のけもの バナナサンデー20話

店主はひとり定休日の店の厨房に立っていた。妻とそれに連なる諸々の悪夢を見たせいで起きてからずっと現実感が、ない。
店主はバナナの皮を剥き、スライスし、サンデーグラスの底に緑色のシロップを垂らし、コーンフレークを匙でいれ、アイスを重ね、とバナナサンデーを作った。
よくサンデーはバナナとチョコレートシロップを合わせる。だが、これはチョコレートシロップは使わない。
息子は幼い頃、偏食だった。
バナナはかろうじて食べてくれたが、チョコレートが嫌いだった。
野菜などじゃがいもしか食べなかったし、肉も魚も嫌いだった。
妻の十和子はヒステリーを起こしよく喚いたものだった。
「肉や魚のどこがだめなのっ!なんでじゃがいもは食べられてかぼちゃがだめなのっ!食べないと大きくなれないのよっ!」
店主は十和子をなだめるのに苦労した。
まだ息子は3歳くらいだった。
母の押し付けがましい願いなど聞き入れる歳ではない。
嫌なものは食べたくないのだ。
十和子はペーストにしたかぼちゃを牛乳でのばしてスープにした。
それは見るからにかぼちゃ色だったので息子のようは口にしなかった。
だが十和子は諦めなかった。
スプーンを葉の口元へ押し付け「ほらほら、一口。一口飲めばおいしいのがわかるから。かぼちゃは栄養あるの。いいから飲みなさい。葉」としつこかった。
十和子のしつこさに葉は泣いた。
店主は見かねて口を出した。
「十和子。無理矢理食べさせなくてもいいじゃないか。なんでかぼちゃにこだわるんだ。好き嫌いなんてそのうち何とかなるさ。好きな物を食べてもらえるだけで充分だろう」
「あなたにはわからないっ」
十和子はスプーンをテーブルに打ち付けた。おかげでかぼちゃスープが飛び散り、店主の顔にも飛沫がかかった。店主はそれを舐めてみた。かぼちゃスープか…。
「葉が小さいのは食べないからなのよ。あたしは葉にちゃんと食べさせようとしてるのに。葉、ご飯とじゃがいもとバナナだけじゃ栄養が足りないのよ。幼稚園に入ったら給食があるのに。あなた困るじゃない」
十和子は葉に懇願するように話しかけていた。
葉は母が葉自身にはよくわからない事を言ってくるので泣いていやいや、している。
店主は椅子から葉を抱き上げた。ああ、また重くなったような気がする。
「お父さん。お母さんがいや」
涙がまつ毛にくっついて雫になっている。
「十和子。ご飯とじゃがいもとバナナだけだってちゃんと成長してるよ。この前だって葉はちらし寿司と茶碗蒸しを食べてたろう」
店主は十和子に言った。十和子は椅子に座りじっとり店主を見上げていた。
「お母さんはいやだって。お父さんとおやつにしよう」
店主は息子を抱いて定休日の店の厨房におりたのだ。息子は色の白い物なら躊躇なく食べられるのだろう。ご飯しかり、茹でたじゃがいもしかり。
バナナだって皮を剥けば白に近い色合いだ。それでバナナとホイップクリームだけでバナナサンデーを作ったのだ。
最初の葉のためだけに作ったバナナサンデーはアイスもなしでバナナとホイップクリームだけだった。
葉は喜んで食べた。
息子の口のまわりにクリームをつけた笑顔。それを思い出すと、今は胸のつぶれるような思いがする。痛みがある。
店主はスライスしたバナナを口に入れた。
バナナとはこんな味だったろうか。


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