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灯明

毎朝、仏壇に明かりを灯し、お線香を供え、おりんを鳴らし、両親の写真に挨拶をする。ほの暗い冬の朝、ゆらめく灯明は幻想的だ。

両親ともに大人数の兄弟姉妹の末っ子に近いので、分家であるわが家に仏壇はなかった。10年前に父が亡くなった時、母が熱望して始まった仏壇のある生活。今は両親揃ってそこに鎮座している。

正直、わたしは仏壇は必要ないと思っていた。この先、違う土地の小さいアパートに引っ越すかも知れないし、施設や病院に入るかも知れない。そうなったら持って行けない。そう言って何度も母を説得したが、頑として聞き入れてもらえなかった。

卓上型の小さな物は嫌だという母の強い意向で、そこそこのサイズ。ただ、できるだけコンパクトでシンプルな物を選んだので、従来の仏壇のような煌びやかな装飾はない。

仏具店から基本的なことを教わって、最初の準備はわたしがした。でも、毎日の仏壇の管理は母に任せるという約束。母自身、初めての仏壇で何をどうすべきかよくわかっておらず、見様見真似だったし、宗派によって決まり事も違うようなのでお寺さんにも訊いた。

信仰心が篤くない故なのか、わたしは決まり事をあまり重視していない。かといって、両親の魂を疎かにするつもりもない。自然に湧き上がる気持ちに従うだけ。

「忘れない」「思い出す」ということがいちばんの供養だと聞いたことがある。型にとらわれず、自分なりの供養をできたらいい。この家と土地で暮らすことも供養のひとつ。とはいえ、ずっと縛られるつもりは毛頭ない。

話変わって…。

ドイツのクラシックレーベルから発売されるYAFFLEさんのアルバム(ニュークラシックという分野での展開らしい)をとても楽しみにしている。

風くんのライブで福岡にいる彼の録音インタビューを、昨日J-WAVEで聴いた。アルバムのテーマは「何があろうと人がしなくてはならない日々の営みのようなもの」(って感じのことを言ってた)。

そして、かかった曲が『MERCY THROUGH THE CLOUDS(雲の中の慈悲)』。これって、まさしく、あの人のあの曲のビジュアルイメージでは。

昨日の津軽は、雪雲の切れ間から時折弱い光が差し、青空が垣間見られた。こうしてちょっとご褒美をもらえるだけで人ってなぜだか頑張れる。

インタビューを聴き終えた後、降り積もった雪と格闘。わたしにとってはこれも毎日必要な、欠かせない営み。「雪の中の贖罪」って感じだけど…。雪かきって修行みたいなものだ。キリがないから。

アルバム収録曲の『ALONE』がめちゃくちゃ好き。心が洗われる美しい旋律。まるで聖歌。心がふわりと宙を舞うような、たゆたうような感覚。

風くんのNHK特番で海外のファンが『死ぬのがいいわ』は読経のようにも聴こえると言っていた。音楽って精神性の表れだものね。

それにしても、やっぱりクラシックからちゃんと勉強した人はいい。彼の語る音楽論はすっと頭に入って来る。

クラシックは結果的に今、クラシックと呼ばれているだけ。歴史に名を刻む偉大な作曲家達だって、職業として、商業的な意味合いで曲を作っていた。元旦のクリスさんの番組に電話出演したYAFFLEさんが今年の抱負を訊かれて「もっと売れたいです」と言い切ったのが印象的だった。クリスさんは少し面食らっていたけれど。

どれだけ多くの人に(長く)愛され、(長く)聴かれるか。それってとっても大事だよね。

普遍。キャンドルに聖歌や讃美歌なら、灯明に…。

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