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「どうしよう」ではなく「さて、どうするか」

この日のことは、きっと死ぬ前にも思い出すだろう。

ややパニックめいた気持ちに囚われ、「どうしよう」が頭の中を占めた。以前「どうしよう」に囚われたときは「さて、どうするか」と転換すると良い、と聞いた。以来、自然発生的に「どうしよう」が出てきたときは「さて、どうするか」だったなと意識している。意識したところですぐに具体的な名案が浮かぶわけではないのだけれど、これが言葉の魔法というのか、「さて、どうするか」と言うことで何となく目の前が切り開けるような気がする。自己暗示とでも言うのか。でも今のところわたしにはぴったり、すとんと沁みる言葉だ。


自分のとった行動に対して後悔する、ということをこれまでに何度してきただろうか。
痛みをまるごと背負ってからやっと、浅はかだったなあと気づく。何度め?と自分で突っ込んでから、その言葉でわたし自身が自分を見離そうとしていることに気づく。そして、自分ですら自分に呆れるのだから、これはもう他人には本当に見離されるかもしれないと途端に不安になる。これまでどうにかわたしを援助してきてくれたひとも、もう手に負えないと切ってしまうのではないかと。か細くも大事に積み上げようとしてきた信頼が一気に崩れようとしているのではないかと。それもこれもわたしが蒔いた種なのだけれども。
情緒が怪しい方向へ向かっている。自覚はしている。


力を込めた拳が目の前に迫ってくる。一瞬目の前が白くなって、口内に血の味が広がる。タイムラグがあってから、あ、顔が痛い、と感じる。痛みを感じながら、わたしは自分を含めたふたりの動きを斜め上から眺めている。わたしの瞳はわたしの身体を映しているのになぜか違和感はなくて、ふんふん、とある種の冷静さを持って、まるで旅先の風景でも見ているかのようにその場を眺めている。
よく、生死に関わるような事故に巻き込まれたひとが「事故の瞬間はスローモーションのようだった」と語ると聞くけれど、この感覚はその類だったのかもしれないと思う。
得体の知れない離人感を抱えつつ時間は過ぎ、しかし半日ほど経ったら現実味を帯びてきた。それはそれは鮮やかすぎて直視したくないほど。


警察のひとは無機質ではあるものの優しく、わたしの気持ちを補うような言葉で助けてくれた。警察というところは敷居が高く感じられるものの、行ってみればなんということはない、というのがわたしの印象だった。もちろん、時間が経っての感想だ。

種々の質問をされる中、男性の警察官に、
「あなたに落ち度があると思いますか?」
と尋ねられた。向き合って座っているものの威圧感はないと感じていた矢先だった。
問われてすぐ、少し開けていたわたしのこころが防衛の姿勢を取るのがわかった。
「……」
「冗談です。あなたは何も悪くないですよね?」
はい、と答えたと思う。
まわりに何度も「あなたは悪くないよ」と言葉を掛けてもらい、その言葉を自分のものにしようとどんなに気持ちを強くしていても、何気ないその質問でぐらりと身体が揺さぶられたのだった。幸いにもその質問は形だけというのか、書類の上で必要であっただけなのか、質問する側がすぐにわたしを助けてくれ、踏み固めようとしていた場所へ連れ戻してくれた。


傷を探しているのか優しさを探しているのかわからなくなるときがある。
だけど、もう、傷のなかに懐かしさを探すのはやめよう。傷が懐かしいという感情ほどかなしいものはない。

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