印象に残っている100分の10冊(後編)
続きです。
⑥GO/金城一紀
民族問題というセンシティブなテーマをあまり感じさせない淡々とした文体に高校生の主人公の純粋さが垣間見えます。しかし、それでもその純粋さに似合わない「人種」という生温かいものが作品を通して泥のように付き纏っています。
この作品は「在日朝鮮人」と「在日韓国人」という線引きすら知らなかった10代の自分に、彼らの輪郭を確かに感じさせてくれた作品でした。
「人種」という感覚に違和感を覚えつつも、主人公はあくまで普通より少しやんちゃな高校生。だけど、周りがその「普通」を許さない。やがて主人公は「自分が何者なのか」という問いのために、生物学や遺伝子、民俗学まで勉強し始めます。そして恋をして……。
「自分が何者なのか」という問いや、恋をして激しく感情や価値観が揺れ動くのは、高校生としてとても「普通」なことのように思います。だけど周囲は、生い立ちは、国籍は、「違う」と主人公に言ってきます。
「人種なんて関係ない」とは思いません。
でも、そもそも僕らってそんなに違うのか?
説教臭くなく、だけど確かなメッセージのある名作です。
⑦アルジャーノンに花束を/ダニエル•キイス
つい最近もSNSで話題になっていましたね。アマゾンの英米文学カテゴリーでベストセラー1位だそう。英米文学はそんない読んだことはないけれど、でもそうなんだろうなあと思う魅力がこの本には確かにあります。
この作品の特徴はなんといってもチャーリイの日記形式で描かれるその文章形態にあります。チャーリイの知能はかなり低いため、最初の方はひらがなばかりで、誤字脱字も目立ちます。ですが、知能を獲得してから彼の文章はみるみるうちに変わっていく。物語の中盤、チャーリイの一人称が「ぼく」から「私」へ変わるのですが、それを見た時に感じた、驚きや感動よりもどうしようもない畏怖で、僕はこの物語の恐ろしさに気付きました。物語の序盤とは最早別人のようになったチャーリイ。そこにあるのは果たして彼が望んで、僕らが夢見ている「幸せ」なのでしょうか?
賢いことが幸せで、馬鹿なことが不幸なのでしょうか?
そもそも賢いってなんだ?馬鹿って?
偏った意見が目立つ現代だからこそ、この作品は輝きを増しているのではないかなと思います。
⑧アントキノイノチ/さだまさし
その特徴的なタイトルと「関白宣言」など印象深い曲を歌うシンガーソングライターのさだまさしさんが執筆しているというインパクト抜群の作品。ですが、その2つを吹き飛ばしてしまう魅力のある作品です。
命の大切さや、生きることの意味、というテーマを扱った作品はこの世にごまんとあると思うのですが、そのテーマの持つ独特な重さは決して気安く扱えるものではありません。
この作品の登場人物たちは皆そういったテーマを人生を通して抱えていて、いわば一度壊れた心を治しながら、誤魔化しながら生きている。そこまでして生きている。それはなぜか。
そして、主人公が働くのはそういったものが閉じられた先にある遺品整理という仕事。この2つの要素が絶妙に絡み合って、人間の生命、そして心の再生を背景にしながら、様々な出来事を起こし、解釈しながら、物語は進んでいきます。
さださんの独特なユーモアに溢れる文章と、登場人物たちの温かさで「元気ですか!」という言葉に「元気です」と言えるようになる作品です。
⑨老人と海/ヘミングウェイ
ノーベル文学賞とピューリッツァー賞を獲得した名作中の名作です。
あまりにも有名なタイトルですので、読んだことはないけどタイトルは知っているという人も多いのでは……(ヨルシカの楽曲になってたりもしてますよね)。
さて、外国文学はどうしてもハードルが少し高く見えるのですが「老人と海」と先にご紹介した「アルジャーノンに花束を」と後述する「変身」はすごく個人的な意見ですが、比較的読みやすいと思います。何よりもこの3作は「読んでしまう」魅力があります。気付くとページをめくる手が止まらない。そういう魅力です。
海外作品はどうしても海外の価値観であるとか、慣れない文化みたいなもので物語が分からなくなることがありがちですよね。
登場人物の名前が分からなくなったり、固有名詞やジョークが理解できなかったり、日本人にはあまり馴染みのない聖書の引用とか……。
ではなぜこの3作がおすすめなのかというと、「主要な登場人物が少ない」のです。僕は頭の中でキャラクターを想像しながら作品を読むのですが、登場人物が少ないとこれが圧倒的にやりやすく、物語に入り込みやすいのです。
海外文学に興味あるけど最初はどれを読むのが良いのかな?という人がいれば僕はこの3作をおすすめします。
話が逸れてしまいましたが「老人と海」はそのタイトルの通り広大な海の上での孤独な老人の葛藤を描いた作品です。
この作品の一番の魅力はそのシンプルなストーリー構造にあると思います。人間が年老いて、だけどそれを受け入れられないまま、自然という大きな脅威の中で自らの老いと向き合う。そのシンプルさの中に人間の強さ、年老いることで得たもの、失ったもの、精神の葛藤がまざまざと描かれていて、老いることと、その結果の人生とは何なのか。それを「大カジキとの格闘」の中で描いています。
個人的にはこの物語の最後の儚い感じが好きです。人生って案外こんなものかもな、と思います。
⑩変身/カフカ
最後にご紹介するのは、今までの作品とは少し毛色の違う作品です。
この作品はいわゆる「不条理文学」と言われるもの。読んで字のごとく主人公や展開が非常に不条理で、とても現実離れしている状況に襲われます。ただそれだけだと破綻した物語となってしまいそうですが、不条理文学はそんな不条理と現実離れから、人間の姿と現実を見つめ直す、というような側面を持ちます。
「変身」はそんな不条理文学の代表格で、平凡なサラリーマンだったグレゴール・ザムザが朝目が覚めたらなぜか巨大な黒い虫(この場合の虫は甲虫だと言われています)に変身しているというもの。ではなぜ変身してしまったのでしょうか。その理由は……。明かされません。
物語は虫になったグレゴールと、その家族との関わりで話が進んでいきます。意味の分からない状況と、その醜い姿を見た家族は彼を遠ざけます。そして家族の生活資金の中心だった彼の突然の変身は、彼自身を絶望に追いやっただけでなく家族にも影響を及ぼしていく……。
さて、ある日突然虫になったグレゴール。彼に起きた「不条理」は僕らとは無縁で、小説の中だけの話……。
本当にそう言い切れるでしょうか?
僕がこの作品を好きなのは、こんな突拍子もない話が自分たちにも身近な話に思えてならないからです。
以上です。
誰かの読書の参考になれば嬉しいです。
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