「命が大事か」

 おっちゃんは、夜回りのスタッフに言った。
 ホームレスの命が大事か――

 今月から週に一度、ホームレス支援のNPO、Homedoor(ホームドア)でボランティアをしている。
 大阪市北区にあるホームドアの事務所横には、家がない人や家があってもDV等々の理由で帰れない人のための一時宿泊施設があり、無料で最長2週間宿泊できる。その間に支援を受けながら、住まいや仕事を探すわけだ。
 私は少しでも宿泊者に快適な生活を送ってもらえたらと思い、そこの共用キッチンの掃除や石鹸類の補充などをやってきた。
 居室はベッドとシャワー、トイレが備え付けられた簡素なビジネスホテルのよう。苦労や不安だらけであろう路上生活から、雨風凌げるこの宿泊施設に入ったら、ほっと一息つけるだろうなと思う。
 また、ホームドアではホームレスの方々の就労支援事業にも取り組んでいる。電動アシスト自転車のシェア事業、HUBchari(ハブチャリ)もその一環だ。
 私は新規ポート(駐輪場)の設置や自転車の移動などの作業を、元ホームドア利用者の“おっちゃん”(ホームドアではホームレスの男性のことや、支援後にホームレス状態を脱した男性のことを「おっちゃん」と呼ぶ)と一緒に取り組むことが多かった。
 おっちゃんたちが少しずつ話してくれる半生を聴いていると、解雇や病気、親との死別などの出来事が短期間に重なってしまうと、誰にでもホームレス状態になる可能性があるのだということが分かってくる。

 そして、夜回り。
 文字通り、夜中に街を巡回する。
 ホームレスのおっちゃんたちは日中、日雇いの仕事などで住処を離れていることが多いため、ホームドアでは20時過ぎに事務所を出発し、3時間ほどかけて、川沿いや梅田の繁華街などを歩き回る。
 そこで出会う路上生活を送るおっちゃんは、ホームドアのスタッフと顔見知りであることもあれば、その日初めて顔を合わせる人もいる。
 顔見知りの人たちは、スタッフが来るのを待っている場合も多い。夜回りで配られる弁当やカイロなどの日用品を貰うためだ。
 あるいは、そういった物資の受け取りを拒否される場合も少なくない。「今日はもうご飯食べたから」と断る人もいれば、“恵んでもらう”という行為を受け入れられない人もいるらしい。
 弁当を手渡しつつ、もしくは受け取りを断られつつ、スタッフは「○○さん、最近見やんかったけどどこにおったん」「△△さん、寒くなってきたけど体調はどう」と話しかけ、近況や今後の予定などを尋ねることで、今後の支援に繋げる糸口を探っていく。
 一方で、名前を教えない人も少なくないらしい。初対面の人はもちろん、複数回出会ったことがある人でも、やはり個人情報を開示するにはスタッフとの信頼関係が必要な場合もあるのだろう。
 だからこそ、何度も何度も足を運ぶのだ。
 冒頭の言葉を聴いたのは、そんな夜回りでの出来事。発したのは、スタッフと顔見知りの、しかし名前は知らないおっちゃんだった。

 ――頭に巻いた包帯を心配したスタッフに、訥々と語り始めた。
 おっちゃんは路上生活中に何者かに殴られ、怪我を負ったが、警察に事件のことを相談しても取り合ってもらえなかったらしい。曰く、「ホームレスの命は大事じゃない」と。
 おっちゃんの話を鵜呑みにはできなかったが、それでも警察の対応には苛立ちを覚えたし、冒頭の言葉に私は「誰の命だって大事です」と答えるのだが、ホームドアと関わる前と後では、私の内から出てくる「命は大事」という言葉の重みに、随分と差があるように思えた。
 そもそもボランティアをしようと思ったきっかけは、今年11月の渋谷で起きたホームレス女性殺害事件に関する、とあるネット記事にある。
 (当時は無料記事だったが、現在有料になっているため、記事の一部を引用する意味で、当時の私のツイートを貼っておく。)


 この記事を読んで、「俺は差別していた」という感覚に陥った。かなりショックだった。
 私はどちらかと言えば、ホームレスの方を含め社会的弱者に優しい人間だという自負があった。
 しかし、事件の一報をニュースサイトで見た私は「よくある事件の一つだ」と感じていたし、それどころか、心のどこかに「ホームレスだから仕方ない」という感情が絶対になかったと断言できない自分すらいる。
 このネット記事を読んで、自分の中に無意識の差別感情が巣食っていることを痛感した。この醜い感情と向き合うためにボランティアに参加し始めたと言ってもいい。
 そんな私でも、夜回りを通しておっちゃんと向き合い、どこか疲れた印象の彼の目を見ていると、たとえホームレス状態であっても、みんな一人の人間なのだと、頭ではなく心で思えてきた。
 この心情の変化は何だろう……
 たった一度の夜回りではあるが、十数名のおっちゃんに出会った。自分のことを話してくれる人もいれば、話してくれない人もいた。他人に言えることにも、他人には言えないことにも、気高い何かがあるように思えた。
 あっ、思った。
 尊厳や……尊厳を見たんや……

 名前も知らないおっちゃんの言葉をずっと反芻していた。
 ホームレスの命が大事か……
 歩き回れば少々汗ばむ、しかし路上で眠るには寒すぎる夜だった。

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