親切にできない町

 うう~寒い寒いっ!
 私は牛丼が2つ入ったビニール袋をぶら提げて、小走りで車に向かった。
 年初からの穏やかな天気が一変し、昨日は鉛色の雲が立ち込めた。いかにも冬の空である。冷たい風が吹きすさび、しとしと雨まで降っている。
 ドアを開けて運転席に乗り込むと、ようやく人心地付いた。エンジンをかけずとも、寒風を防ぐだけで体感気温が随分違う。
 プラスチックの容器越しでも分かるご飯の温かさを冷えた手のひらに感じながら、運転中に倒れないよう助手席に牛丼を据える。エンジンをかけると、足元にエアコンの暖気が纏わりついてきた。
 運転し始めてしばらくすると、左側の歩道を小学校低学年ぐらいの女の子が一人で歩いている姿が見えた。
 三学期の始まり、今日は半日授業なのだろう。
 小さな手には傘が握られている。先ほどまで彼女と同じ寒空の下にいたことを思うと、ほんの一瞬女の子を車に乗せて送ってあげても良いんじゃないかと思ったが、すぐにその考えを打ち消した。
 そんなことしたら不審者やと思われて通報されてまうがな。
 一人苦笑しながら、しかし、とも思った。任地の人たちなら、どうするのだろう……

 ドミニカ共和国でのある日のこと。
 私は任地の市街地から、上司の運転でセミナー会場の集落に向かっていた。助手席には女性秘書が座り、私は後部座席に参加者の女性と横並びで乗っていた。
 首都へ延びる国道から農村方面に続く未舗装路に入ったところで、上司と女性秘書が何か話し始めた。それを合図に車を停めたと思いきや、急にバックにギアをシフトする。けっこうなスピードで後退する車体は、雨季の雨で削られた路面の凹凸の上で大きく揺れる。
 事故るんじゃなかろうかと私が心配していると、上司は再び停車させ、車のパワーウィンドウをおもむろに開けた。
 窓の外を見やると、おばあさんと5歳くらいの男の子が佇んでおり、上司と何やら話している。
 「タカ、ドアを開けろ」
 上司に言われるがまま扉を開くと、おばあさんと少年が乗り込んできた。集落まで送ってあげるらしい。
 上司とおばあさんの会話を聴く限り、どうやら知り合いではないらしく、たまたま通りかかったから乗せてあげただけのようだった。
 車は起伏のある畑の間をずんずん進んでゆく。道を横切る川には橋がかけられておらず、川底を走っていく。テーマパークのアトラクションのようだ。
 車で走っている分にはエキサイティングで楽しいが、徒歩となると老人と子どもには厳しかろう。
 上司はその後、車で30分弱の距離にある集落で2人を降ろした。

 私の地元も、ひと昔前は何も憂うことなく手を差し伸べられる町だったのかもしれない。もちろん、同じドミニカ共和国でも農村部と都市部では対応に差はあるだろうし、日本にもこうした助け合いで成り立つ地域が、今もどこかに息づいているだろう。
 しかし、一度でも”この地域で声をかければ不審者と思われる”と住民が感じてしまえば、もう二度とその土地でそういった親切はできない。
 地元の町は、もう任地のようにはなれない……
 なんだか、ため息でもつきたい気分になった。