無力だけどできること

 恐ろしいことが起きている。どうやらロシアの軍事行動によりウクライナで民間人の死者が出てしまったらしい。子どもの犠牲者が出たという情報もある。
 NATOとロシアの疑心暗鬼に始まった紛争が、互いに武器を取らせ、人々に憎悪の感情を植え付けてしまった。
 戦火がこれ以上拡大しないことを願うばかりだが、では自分に何ができるかと考えてみると、己の無力感に空しさを覚えてしまう――

 2020年3月1日、ドミニカ共和国で新型コロナウイルスの最初の感染者が確認された。
 中国起源とされるこの未知のウイルスに対する恐怖心から、世界各国ではアジア人蔑視が横行した。世界的な危機を目の前にしているにも関わらず、ある種の分断が起こっていた。
 当時、私は協力隊員としてドミニカ共和国の田舎町に住んでいたが、幸いにも罵詈雑言を浴びせられたり、あからさまな差別に晒されたりということはなかった。しかしそれでも「おいチーノ(中国人)!お前はウイルス持ってんのか!?」「うぇーい!コロナコロナ!」と若い兄ちゃんらに揶揄われた経験はある。「持ってへんわ。お前はウイルス欲しいんか?」などと気丈に振舞ってはいたが、異国で謂れのない差別を受けるというのは全く気分の良いものではなかったし、どこかで危害を加えられたりするんじゃないかと、私自身も今思えば少々ピリピリしていた。
 しかし、そんな緊張を解してくれたのもまたドミニカ人だった。任地で出会ったほとんどの人々は「ハポン(日本)は大丈夫なのか」「家族が心配してるんじゃないか」と気遣ってくれた。

 ――無力である。本当に空しく思う。
 私には東欧で起こってしまった戦闘を止める力もなければ、被害者に芽吹いた憎しみの感情を取り除いてやることもできない。
 でも、とも思う。できることもあるんじゃないか。
 今日本に住んでいるウクライナ人やロシア人に、2年前の自分の姿を重ね合わせる。
 彼らは日々の情勢に気を揉んでいるに違いない。中には家族や友人の安否を気にしているウクライナ人や居心地の悪さを感じているロシア人もいるだろう。
 今、私にできること。かつて多くのドミニカ人が、私のことを想ってくれたように、私のことを差別せず接してくれたように、在日の両国民と付き合うこと。
 国と国との衝突を前に私は無力だ。それでも人と人との関係においては、まだまだやれることがある。