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闇から覗く者

私の地元のとあるお社は、そこに10日間(1か月だったかも)お籠りすると、ありがたい霊験を授かるという口伝の伝承があるが、籠っている間は誰とも会ったり喋ったりしてはならないという。
しかし夜中になると知人友人、あるいは親族の声で

「おい!〇〇(自分の名前)!お前の家が大変なことになった!開けてくれ!」

などと戸を叩く者が来るそうな。

何となくオチは読めてきたと思うが、びっくりして扉を開けると外にはその声の主は居ない。

私にその話を教えてくれた方曰く、そこでゲームオーバーらしい。
そこに何が来るのか、当然だが私は知らない。


私の実家の玄関を開けると、真正面にこのお社がある山が見えるため、我が家では初詣はこのお社に行くと父が決めた。しかも元旦の夜中に。
そしてそれは中学に上がってからは父に代わり私の役目になった。
私の父は狩人だったが、本当に行っては駄目な時は犬が動かなくなるからわかる、と私に犬を付けてくれた。
ちなみに今まで犬が動かなくなった事は一度も無い。

25年程前はまだ、お社の中に入る事が出来て、中には本当に布団が置いてあり、懐中電灯に写る布団が怖かったが、前のお社が傷んでしまったので新しいお社に建て変わり、防犯の都合上、扉は開かなくなった。
つまり、冒頭に書いたような修行は出来なくなってしまった。
そもそも、このような口伝を知る者も私の知る限りではもう居ない。

山中にある無人のお社なので、懐中電灯を頼りに登山するのだが、まーそりゃ、当然怖い。
九州なので熊は居ないのが救いだが、猪くらいはザラに居る山だ。薮がガサガサいってる位で驚いていてはキリがない。

ある年、本当にここでRopeでneckをhungingしちゃった人が出て(ルー大柴みたいでごめんなさい)しばらく本気で気味が悪かったのだが、そんな山中に夜中に歩いて行っても何とかなる私だが、何だか分からないが怖い思いをして忘れられないキャンプがある。


一つはキャンプ場、もう一つは山。


場所は伏せるが、お年寄りの方言が何と言っているのか全く聞き取れないレベルの緯度の、とある村。

村のキャンプ場がある施設に着くと受付のおじさんがこう言う。

天気が悪くなりそうだからテントとかじゃなくてそこの小屋開けて帰るからそこで寝なよと。

もちろん、方言がきつ過ぎて何と言っているのか全く聞き取れていないが、話の流れでそう理解した。
言葉が分からないときは、とりあえずにこやかにありがとうございます〜と言っておけばだいたい何とかなる。
17時になるとおじさんは帰って行った。

ハイシーズンではないキャンプ場で、まして平日である。人っこ1人居ない山奥。
天気もぐずついている。

言われた小屋に行くと本当に鍵が開いている。
扉を開くと電気も点く。
もちろん、おじさんの言った言葉が聞き取り辛かったので、本当に使って良いのかな、みたいな思いもあるがそれよりなにより

気持ち悪い。

別に物が散らかっているとか、古いとか汚いとかの物理的な話じゃない。

言葉にし辛い気持ち悪さ。
何と言って良いのか表す語彙力が無いが、とにかく落ち着かない。

ここに長く居たくない。
慌てて荷物を解いて、外にテントを張った。
張ったは良いが、外も外でやはり気持ち悪い。
既に日は暮れている。

別に、何か出ましたー!的な話じゃなくて、本当にただただ気持ち悪い。
ずっと誰かに見られている感覚、とでも言おうか。


当然、眠りも浅く、夜明けと共に逃げ出したのは数あるキャンプの中で後にも先にもこのキャンプ場だけだ。
検索しても見つからないから、既にこのキャンプ場は無くなったのかもしれない。


もう一つは山。


これもまた何処の何、とは言わないが、一泊絡めた低山の縦走にはまっていた頃の話。

いわゆる〇〇平、などと呼ばれる、ピークとピークの間の少し開けた場所。
前から場所は知っていて、少し歩けば水場もあるし、キャンプ出来そうだなと目星は付けていた。

端からそこを目指して歩いたので、明るいうちに着いて、テントの設営を済ませて、水の段取りや何やと歩き回っていると、小さな祠を見つけた。

あ、と思ったがキャンプの場所を変えたり、下山するにはもう時間が遅い。
今晩一晩泊めて下さいとお参りしたが、もう、である。
前述の見られている感覚どころか、テントの横に常に誰かが居るくらいの感覚。

獣が歩く足音がずっとテントの周りを回っている。余りに続くから最早獣であるかどうかも自信がない。


そうか、この薄い布の向こうは別の世界なのだとこの時気付いた。
見られて当たり前だ、境界を侵したのは私の方だ。
またしても眠れぬ夜を過ごし、眠い目を擦りながら、夜明けと共に逃げるように下山した。

山の怪、みたいな話はたくさんあるが、本当に山には人智の及ばない世界があるように思う。
今、高齢化や過疎化によって、見えない境界のようなものが随分人里に降りてきている気がする。
近年良く聞く、街中に獣が走り回るとはそういう事だと思う。




昨今のキャンプブームにおっさんが何か言うとしたら、えてしてキャンプ場と呼ばれる物はその境界に近い所にある。
遊びとはいえ、自然への敬意や感謝を忘れてはいけない。
興味本位で自然を感じる為や、人気を避けての何もない山中でのキャンプは絶対にお勧めしない。
少なくともソロでは。
冒頭の話の、お社の扉とかならまだしも、テントの薄い布ではちょっと心許ないよ、という話。

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