見出し画像

図書カード

生き辛い、みたいな感覚は誰しも持つのかも知れないが、こと思春期の中学生にとってそれは深刻だ。友人関係だったり、進路だったり家庭だったり、問題がいつも心の中に渦巻いている。
何か自分は人とは違う、
人の言う事を素直に聞けない、
イライラする、
やたら誰かと比べたがるくせに比べられると腹が立つ。


子供にその辺の感情を上手くコントロールできる筈もなく、学校に行くのが辛くなった時、私を救ってくれたのは、司書の先生だった。


学級では何かしらの委員という役職が回ってくるので何となく楽そうな図書委員になった私は、委員の仕事などそっちのけで司書の先生と良く本の話をしていた。
まず見た目から馬鹿丸出しの私が本の話なんかするものだから先生はゲラゲラ笑っている。
変わった先生だと思っていたら本当の変わり者だった。


授業に行きたくないと言えば好きなだけここに居たら良いと図書室の奥の、自分の部屋をあっさり私に明け渡した。
他の教師との間でどんなやり取りがあったのか見当も付かないが、ともかく学校に行くと図書室に直行した。
そもそも朝は始業時間に間に合っていないし、他にも余罪の多い問題児の私が教室に行っても生徒指導に捕まって生徒指導室の奥の部屋に押し込まれるだけだった。




今の時代に一職員の独断でこんなことしたら大問題になりそうだが、地域的にややこしい立地の我が母校では、日常的に起こる星の数程あった問題の、ほんの一欠片に過ぎない。
隣のクラスの担任は、その余りに多い問題に対処しきれず行方をくらませた。




本の虫、という程読書に夢中になった訳ではないが、この司書の先生との本の話、詩の話、歴史の話が今の私を形作ったと思う。
ジュール・ベルヌの海底二万里で海の底を漂ったり、沢木耕太郎の深夜特急でまだ見ぬ異国の地に想いを馳せた。
青春の門で炭坑の歴史を知り、宮沢賢治の詩集に言葉の美しさを知った。
分からない言葉を辞書で引いたり他の本から探すうちに私の中の好奇心は育ち、自ら勉強したいと思うのにそう時間はかからなかった。



ややこしい地域には、ややこしい家庭が多く、その数だけややこしい生徒が多いのが相場だが、当時教師達は夜になると地区の公民館にそういう子供達を集めて勉強会をしていた。

あれが県や市の指導なのか、教師がボランティアでやっていた事なのか今となっては分からないが、そこに初めて顔を出すと主催者は私の担任のおばちゃん教師だった。
担任の喜んだ顔を思い出す。


そこから普通に教室に入れるようになるのにそう時間はかからなかったように思う。
志望した高校に受かった時は親より先生達の方が喜んだ。


今の子供達は私らの頃より余程生き辛いのではなかろうかと思う。
子供が向き合うには、世の中複雑過ぎる。
大人だって簡単に心を壊す時代だ。
悲しいニュースを見る度にあの司書室のような逃げ場があれば良いのにといつも思う。
ただただ陽だまりと、本の匂い。


悩むのは世の常だが、私が幸せだったのは勉強なんかいつでも出来るから好きな事をやれとはっきり言える大人が居た。
或いは顔を真っ赤にして必死に向き合ってくれた救いの手があった。
彼女達から受けた恩を、私も誰かに返さねばならないと常々思うが、私のようなボンクラに子供達に伝える高尚な物など無い。
が、馬鹿なりに一つ言えるのは生きてりゃ何とかなるという事と、やはり好きな事を見つけて思いっきりやれとしか言えない。



卒業式に私の背を叩いて送り出した司書の先生は元気にされているだろうか。
貴女が書いた図書カードを、今でも大切に持っている。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?