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若さと生きていくこと

今日は敬語でいきたいと思います。色々試していこうかと。


いつからか、「AM」という女性向けのエッセイ掲載サイトを覗くのが、わたしの日課になっています。

今日はこの記事を読んで思ったことを書こうと思います。

「若さ」は一瞬で、希少なのか。何者かにならなくては…と焦る人へ/葭本未織 
https://am-our.com/love/573/17248/


20歳になるまで、大人というのはみな完璧なのだと思っていました。両親がわたしたち姉妹に親の顔しか見せてこなかったというのもあり、隙のある大人と接する機会があまりなかったのかもしれません。(わたしが鈍感というのもたぶんありますが。)

逆に言えば、「完璧な大人」になるための道を迷いなしに切り開いて、順調に進んでいたように思います。厳しい部活、彼氏、失恋、親友の存在、趣味、受験、初めてのバイト。経験すること全てにちゃんと向き合って、考えて、反省して、努力することが自然にできていた気がします。

薬学生になって、19~20歳で留年を経験したのが転機でした。初めて、多くの人が通る"まっすぐな道"を外れた気がしました。

家族との関係が悪くなって、高校の同級生に会いづらくなって、知り合って間もない学生たちに「留年生」として見られることが怖くなって、大学も嫌いになりました。特に父との関係が悪化したのが精神的にきていて、死んだら父がわたしを罵倒したことを後悔してくれるだろうかと考えていました。もし事故に遭えばこの生活から抜け出せるのに、と思いながら通学して、夜は泣きながらネットのうつ病診断のページを開く、という日が1週間続いて、さすがにまずいと思い、大学のカウンセリングルームに自ら出向いたこともありました。


当時、「amazarashi」というバンドの楽曲を毎日聴いていました。

なかでも特に好きだったのが「僕が死のうと思ったのは」という曲です。いちばん落ち着く曲だったのですが、今になって思うと、ちょっとやばめの女子大生ですね(笑)

僕が死のうと思ったのは あなたが奇麗に笑うから
死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きることに真面目すぎるから

なぜ暗い気持ちなのにもっと暗くなりそうな曲を聴いていたのか、それは「同じことを考えている人の存在を確認して安心したかったから」です。amazarashiが好きな人はきっとそういう気持ちの人が多いのではないでしょうか。


当時、わたしは中2からずっと日記を書いていました。たまに過去を振り返って、自分の登ってきた山道を見下ろすのが好きなのです。

ブログも、Tumblrで2年ほど続けていました。状況の整理と今後の道を決めるためには、心情を文章にまとめるのがわたしには合っていたようです。


当時、CDショップでアルバイトをしていました。スタッフには好きなミュージシャンの販促をすることが許可されていたので、amazarashiの新しいアルバムが発表されたとき、手書きのコメントを書きました。

10月に行われたライブ"メッセージボトルツアー"追加公演の夜、Vo.秋田ひろむさんの「死にたい夜だっていまだにある」という言葉を聞いたとき、ぐっと胸を締め付けられました。しかし同時に、とてつもなく安心しました。目には映っているけれど、誰しもが見て見ぬふりをしているような、なんでもない日常を切り取り、彩る秋田さんの詩は、「死」を自らの近い位置に置くことで生きる意味や希望を見出してくれます。最も人間らしい生き方だと思いました。そして、闇の中だからこそ小さな光がまぶしく見えることを知りました。

このコメントを見てくださったお客さんが、数日後にわざわざ話しに来てくれたことがありました。いちスタッフとして見るのではなく、わたし個人に会いに来てくれたというのが嬉しくて、帰り道に泣きました。今でも思い出すたびに幸せな気持ちが湧きます。



このコメントを書き上げたわたしは、たしかに若かったのだと思います。ミュージシャンに、自分の内面に、文章力を磨くことに集中していた若者でした。今は沢山のライブに足を運ぶ意欲もなければ、心情の深くにまで耳を傾ける気力も以前ほどには湧いてきません。

葭本未織さんの記事を読んで、若かった自分、そして今の大人になった部分と出会うことができたような気がします。ぶれることで疲れるのが面倒で、麻痺してしまった心は、それはそれで成長した結果なのでしょう。

子供の頃から変わっていない、ブレやすくてうぶでかわいいわたしとも、これからは仲良くやっていきたいな、と思わせてくれたエッセイでした。年をとっても変化し続ける、アクティブで活力ある女性でありたい。




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