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教育メモ④-1 先生が足りない理由

 学校は長らく「学業をメインに、集団生活や社会生活を学ぶ場」でした。勉強しながら、協調性や互助の意識、自分の役割や適性を認識すること、公私の区別などを身につけます。
 「学力と集団生活」はどちらも集団の中で自分を探る行為なので、両立可能です。
 車の両輪に例えるとタイヤが両方とも丸い状態(※変な例えですが、大事なワードなので覚えておいてください。)教師に求められる能力は「学力を付けながら集団を動かす」ことであり、けん引する力でした。ある程度そこに同一の業務が乗っても、両輪が変わらず〇な訳ですから、重さに耐えて走る事も普通に出来る訳です。
 その雲行きが怪しくなった一因というかキッカケが2008年の中教審&文科省の「※学習指導要領」じゃないかと私は思っています。
※学習指導要領→定期的に更新される「学校はこれをベースに指導してください」のガイドブック。影響力大。
 
  そのトップに掲げられた悪魔の目標「生きる力」。以下引用。
 
 変化の激しい社会を担う子どもたちに必要な力は、基礎・基本を確実に身に付け、いかに社会が変化しようと、自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力、★★★自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性、たくましく生きるための健康や体力などの「生きる力」であるとの理念に立脚している。この「生きる力」は、自己の人格を磨き、豊かな人生を送る上でも不可欠である。

 「え?それ全部学校で教えるの?」と思って下さったアナタ!
お礼にハグします(不要)。もちろん教育目標についてはまだ語られていますが長いのでカット。
 後編は、この呪文がどう教育現場を滅ぼしていくのかを語ります。


 

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