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ネコと人間と喘息の話

この年末年始はかなり体調が悪かった。ネコではなく人間がである。

毎年寒くなってくると咳が出やすくなる体質で、埃や冷気を吸い込むと咳が止まらなくなることがある。わさびやからしでもむせやすく、ラーメンの湯気でも発作的に咳き込んでしまうので冬は食べられない。

10年以上そんな調子だが、この冬は例年以上にひどくて、とくに夜になると咳が出だして朝までおさまらない。ベッドをよく見ればネコの毛やらフケのような埃やらがたくさん落ちていて「猫アレルギー」という言葉が頭をよぎる。

ベッドをこまめに掃除し、空気清浄機と加湿器をフル稼働させ、寝てる間もマスクをしても、たびたび咳き込んでしまう。そにたびに市販の咳止め薬を飲むのだが、効果は一時的なものだし、薬代もバカにならないし、そのうち効かなくなりそうで心配だ。

ネコはいつも人間が寝る布団の上に乗って寝ていたが、あまりにも人間の咳がひどいので、別の部屋に行って寝るようになった。自分が原因だとわかって遠慮しているのか、ただうるさいから離れているのか。

もともと病院へは行かない性分だ。体調不良で最後に病院へ行ったのは17〜18年前。その前となるとおそらく中学生まで遡る。しかし、咳のしすぎで胸や腹の筋肉が激しく痛み、骨はギシギシきしんでいた。これはいよいよ病院へ行かねばならないと覚悟を決めた。

ネットで調べると、予約なしでアレルギー検査をしてくれる耳鼻科があったが、この体調で電車に乗って行く気にはなれなかった。歩いて行けるほどの近所に呼吸器科を備えた内科がある。

まあそこでいいかと診察時間などを調べていたら、ネットの口コミが出てきて、先生の態度が非常に悪いという書き込みが連なっていた。がぜん興味がわいてくる。

正月あけの病院は患者でごった返していた。風邪なのかインフルエンザなのか、いかにも具合の悪そうな老人たちであふれ返っている。スリッパも足りないほどで、足裏に冷気がしみてくる。靴下に穴があいてなかったのは不幸中の幸いだ。

受付は済ませたものの、この場所で何時間も待つのはかえって不健康ではないかと思い、受付に別の日に改めて来ることにしたいと申し出るも、もうすぐですからと諭され、しぶしぶ待つことに。

受付の人が言うとおり、思ったほどには待たされなかった。風邪の診察などはひとり数分だから回転が早い。診察室に入り、悪名高き先生と対面する。そう思って見れば少し神経質そうな気もするおじさん先生だ。一方こちらは坊主に髭のおじさんである。さあどんな態度を見せてくれるのかと期待が高まる。

先生は事前に書いた問診票を見て「ほうネコですか」と言ったあと、症状についてテンポよく質問を繰り出してくる。聴診器を胸と背中にあてる。看護師さんとの息もぴったりでテキパキしている。こちらも余計なことはせずペースを合わせる。まるで早回しの昔の無声映画のようだ。

次はレントゲン。看護師さんが準備を整えると、先生がささっと登場してガチャコンと撮影しまた戻っていく。こちらも素早く服を着て診察室に戻る。

診断結果は喘息だった。アレルギーのことばかり考えていたので、意外な病名だった。まあ、症状から考えてみればわかりそうなものだが。自分は何年も喘息を患ったまま生きてきたのか、これで呑気にマラソンまで走っていたのだから、とんだうっかり者だなと思う。

幸い肺炎にはなっていなかった。病状について手短に説明してくれたあと、すぐに治療を始めましょうと、吸入薬のサンプルを取り出し使い方を教えてくれる。全ての言葉が最小限にして必要十分でわかりやすい。最後に、アレルギー検査をするので採血をと、別の席へと移動して診察は終了した。

隅から隅まで効率的で気持ちがよかった。なぜこの先生が評判が悪いのかが不思議だ。おそらく呼吸器の分野ではなかなかの名医なのではないかと思う。大きな病院でキャリアを積んだあと独立開業したが、ダラダラと身の上を話したい老人たちがわんさかと押し寄せてきてうんざりしている、という感じの流れではないかと想像してみる。

その夜、食後に処方された飲み薬数種類を飲み、吸入薬を使ってみた。それまで喉の奥には咳が出そうという違和感がずっと居座っていたが、からんでいた痰がすうっと出てきたあと、違和感が消えてすっきりした。

結局、咳をすることなく、ひさしぶりに朝までぐっすり眠ることができた。何ヶ月ぶりの熟睡だろうか、こんなことならもっと早く病院に行っておくべきだった。

もしも、今年も例年どおりの症状だったら病院へは行かず、やんわりとした苦痛とともに日々を過ごしていたことだろう。ネコによって症状が悪化したおかげで、喘息という原因がわかり、適切な治療を受けることができた。「人間がネコを助けたのではなく、ネコが人間を助けようとしてくれていたのかもしれない。」(ネコと人間の八日間⑤)そんな経験がまたひとつ増えた。

10日後、飲み薬がなくなるタイミングで再び病院を受診した。アレルギー検査の結果が出ていて、ばっちり「猫アレルギー」だった。「でも、手放せないんでしょ」と言って、1ヶ月分の薬を処方してくれた。いい先生だ。

咳が出なくなり、ネコは再び人間のベッドでいっしょに寝るようになった。また具合が悪くなるのではないかと心配しているのか、人間が眠るまでは枕の横に伏せてじっと人間の顔を見ている。人間も猫の顔を見返しながら、ネコが病気だった頃、自分もこうやってネコの顔をじっと見ていたなあと思い出すのだった。

お気持ちだけで十分だと思っていますが、サポートされたくないわけではありません。むしろされたいです。