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壊れそうな我が家のはなし(18)


実母が搬送されたのは朝7時すぎ。
息子が学校に行ったのは8時ぐらいで、実父のデイサービスの迎えの車が来たのは9時ごろ。
家の中を片付け、実母と夫の待つ病院に着いたのは10時半だった。

診察の結果、幸い骨折もなく、実母には「脊椎側弯症の急性憎悪」という病名が付いていた。元々状態が良くない中で、実父の介護など無理のし過ぎだ。もう限界なのだ。

入院も手術もする必要はなく、実母を自宅に連れ帰ることになったが、痛みで食欲もなく、当然動けない。床に就かせて、枕もとで話した。

父さんを、もううちではみれんよ。

私の体の中の何かがどんなものなのかの検査結果は2日後に出る。
3カ月に1度の経過観察ならまだいいが、入院することになったら、より一層実母に負担がかかることは分かっている。

みれんよ、と言ったものの、結婚50年を超えた実母の心境はわからなくもない。相手が自分のことを覚えていなくても、元の「夫」ではなくても、それでも実母は最後まで看たいだろう。私に至っては、第三者に預けてしまうそれを「姥捨て山」的に感じてしまう。だが、状況がそれを許してない。

だって、母さんが寝込んでて、私がもし入院でもしたら、誰が看るの?

少し離れたところに住む独身の妹も、ここから仕事に通うのは難しい仕事をしている。実家の窮状を伝えれば無理してでも通うだろうが、それでは何の解決にもならない。

弱っている状態の実母に矢継ぎ早に言うのは気がとがめたが、看れないのは実母が一番わかっているはずだ。正解をなかなか言えずにいる実母の「でも」や「だって」を遮るように、ケアマネをやっている従妹Yに連絡すると伝えて、スマホに登録している番号に電話した。Yは実父がデイサービスから戻る前に時間を作って、家に来てくれた。

どこか、預けるところを探したい。しかし、コロナ禍で施設の見学もままなっていない現状だ。するとYから提案があった。

ショートステイを利用して、一時的に実父をどこかに預け、その間に実母の体調回復と、グループホーム探しをする。グループホームによっては少しずつ見学を再開しているところもあるという。

ショートステイというのは、在宅介護中において、一時的に介護ができない場合の介護をする短期間施設。いくつかの施設に電話してもらって、日程的に受け入れ可能なところを探ってもらう。とはいえ、ショートステイにも面談があって、先方の施設の空き状況もそうだが、担当者が家に来てくれて、実父の状況を含めてあれこれ見てからじゃないと受け入れてくれない。

Yがてきぱきと連絡をして、面談してくれそうな施設を探している間に実父がデイサービスから帰宅。「おう、どうした!」とYの顔を見て上機嫌に挨拶するが、その中でも「お母さんは元気か?」と、20年以上前に亡くなったYの母である実父の妹を気遣うのだから、なんともやるせない。

翌日も勤務先を休むことにし、実父をデイサービスに送り出し、寝込んでいる実母の代わりに家事。実父が帰宅したあとの夕方にはYが来て、ショートステイの担当者の方も家にきて、面談。既に施設の空きがなく、受け入れられない日があったが、それでも何日間か連続して預けることが決まった。

その次の日は私の検査結果を聞くための通院日。
元々は午前中検査結果を聞いて、午後からは出勤の予定が、こちらも実母のケアがあるため午後も休みに。
午前中に行った病院での検査の結果、私の体の中に何らかの腫瘍があることが判明。翌週はじめ、午後から腫瘍の詳細をみるために造影剤MRIをとることになり、その後に入院し、腫瘍を取った後で良性か悪性か病理検査で判断することになった。

入院・手術は1カ月後。
それまでに実父を委ねるところを探さねばならなくなった。

それにしても、今振り返って不思議に思うのが、実母が動けなくなってからあと、実父の徘徊が極端に減ったこと。
わからないなりに、調子が悪いことはわかっていたのか。
結婚50年の信頼関係をきれいさっぱり忘れていても、何か感じることはあったのかもしれない。

(続く)

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