ボロボロの翼でしか守れないもの
僕には大好きな娘がいます。
その娘のために、たとえ無様であっても「飛ぶ」ということを、先日のnoteに記させていただきました。
僕の心はとても弱いので、僕の翼の形きっとイビツでところどころ折れ曲がっていたりするんだと思っています。
それでも、娘に飛ぼうとする自分の姿を見せられたらそれだけで十分だなぁ、なんていう風に考えています。
さて、イビツで折れ曲がっていてボロボロの僕の翼。
そんな翼でも、いや、そんな翼だからこそ守れるものがあると思っています。
それは、傷ついた人たちです。
人って、自分の中にある感情しか理解できない。
少なくとも僕はそう思っています。
痛みや、悲しみ、喜び、後悔、快楽、苦しみ、憎しみ、そういった人の様々な感情は、「自分が経験したもの」もしくは「自分が経験したものの延長線上にあるもの」しか感じ取ることができないのだと思います。
もしそうであるならば、傷ついた心を理解して寄り添うことができるのは、同じように傷ついた心を持った人だけ。
そして、傷ついた心の持ち主が求めることは、決して強い誰かに守ってもらうことではなく、誰かに同情してもらうことでもなく、誰かに励ましてもらうことでもなく、ただただ、自分の話を聞いてくれて、理解してくれて、その上でそばに寄り添ってくれる人がいるということだと思います。
そう。
ボロボロの心を持っていて、それに加えて、飛ぶことを忘れない「翼」を持った人だけが、傷ついた人たちに寄り添うことができる。
僕はそう思っています。
だから僕は、ボロボロで、だけれども折れずに躍動する、そんな翼を手に入れたいと願います。
僕は、そんなボロボロの翼で飛びたい。
だって、そんな翼で飛ぶことができたら、みんなも楽しい気持ちになるでしょ?
もし僕が飛べなかったら、思いっきり笑ってくれればいい。
それで十分なんです。
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