便利なものが台頭してもなお、代替されずに存在感が一層増すものがある。そのひとつが、個人の「感情」だ。人によっては、年を重ねるほど涙腺が緩くなるなんて聞いたことがあるだろう。では、感動とはなんだろう。
たとえば、この感動ということばを誰に、どう教わったかまで考えても確かな記憶がない。ある種、自身で答えを導くしかない不可思議なメカニズム。
新潟県三条市に舞台をうつしてみよう。
穏やかに、ただありのままに。三条市の山岳地帯では、豊かな自然が広がり、静かな空気が流れる三条市保内地域がある。ここで、“庭”を起点に、人びとの感動を造ろうとする庭師がいる。藍庭(あいにわ)代表の畠弥真人(はたやまと)だ。
藍庭の取り組みは、まるで物語が見えてくるような、世界にひとつしかない庭を造り、届けること。企業や団体、個人宅の庭を手がける畠さんに感動を造るヒントを探ってみた。まず、畠さんの人物像を探るために、ご本人の推し本から考えてみよう。
畠弥真人さんを紐とく一冊「ぼくは愛を証明しようと思う。」
なぜ、この一冊をお勧めしてくれたのか。畠さんが庭師としてこれまでの歩みを伺っていくうちに見えてきた。
気づいたら親父の背中を追いかけていた
庭師の仕事といえば、お客さまから依頼を受けて庭園を作ったり、庭木の手入れをすることが主とされている。畠さんは、さらに一歩踏み込んでゼロベースでデザインや企画提案を行う。ときに、設計作業で用いられるソフト「CAD」を利用し、庭の図面を描くこともする。
畠さんがそう考える至ったのは、青年時代。そこから遡っていきたい。
もともと、畠さんは代々続く園芸の家系に生まれ、祖父や父親も庭師として活躍してきた。そのため、父親は「我が子にも庭師をなってほしい」と造園科がある高校を薦めた。
当時の畠さんは、高校時代の大半をスポーツに注ぎ、庭師になりたいとは考えていなかったそう。進路に迷うなかで、高校の推薦枠を活かし、県外に飛び出してみたい。そう考え、福岡県にある西日本短期大学に進学し、造園技術を学ぶ。
その想いは、次に務めた造園会社でも、地元三条市にUターンして家業に携わっても、どこか物足りなさを感じるほど。自身の造園に対する骨格が構築された期間だと笑いながら話した。
庭を造るためにお客様との約束事
畠さんは、庭造りの理想を追い求めるために地元に帰っても父親の会社を就かずに、個人事業主で庭師を続けてきた。30歳(2011年)で、藍庭を立ち上げた今もなお変わらない。
お客さまと共に造る。畠さんが強く印象に残っているのが、茶道の先生と茶室の庭を造り上げたときだと語る。
藍庭が手掛ける庭造りでは、手仕事でかつ野外作業が大半。そのため、決められた工数で進むことが少ないという。しかし、お庭という自然を接し、目に見えないものと対峙する庭師の技術とその背中には、お客さまの心を揺り動かす、確かな付加価値があるのだ。
時代によって幸せの価値観が変わる
話を現代に戻そう。コロナ禍を経て、産業や暮らしに大きな変化をもたらした。庭造りにおいてもそう。これまでの生活様式が一変し、多くの人たちが幸せとは何か、と価値観を見つめ直すようになってきたと畠さんは感じる。
その一手として藍庭が考えているのが「庭結び」である。庭結びとは庭の終活と銘打ち、これまでに丹精に手入れしてきた庭を後世にどう受け継ぐかをサポートするものだ。コロナ禍を経て、家族と過ごす時間が増え、家に居る時間が増えたからこその個人と家族、そして庭の関係性を見出したからである。
感動とは誰かといっしょに過ごす時間であり、共同作業から生まれるそれぞれのストーリーにヒントが隠されている。畠さんが見据える未来の三条市と庭師としての眼差しが、幸せのあり方さえも見つけるものになるかもしれない。そう感じさせるひとときであった。
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