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介護日記2#5 夢はありますか
夢をみていたのは何歳までだったのだろう。私の小学生の頃の卒業文集には『バレエの先生になりたい』と書いてある。
10歳から20歳までの約10年間、受験や怪我で休んでしまったことはあったが地元のバレエスタジオの先生に憧れて、他の事はそっちのけで毎日毎日レッスンに通っていた。ジャズ、クラッシック、モダン、スタジオのオリジナルなどなどのレッスン、発表会や公演の舞台も楽しかった。
楽しくて楽しくて学校の勉強よりも食べる事よりも夢中になった。そして頑張っていたら、ありがたい事に認めて貰う事となりバレエスタジオのスタッフに成る事が決まった。
夢だった事が現実になった瞬間だった。
バレエの先生として子供達を教えたり、初心者の大人の生徒さんのレッスンを担当したり、ワクワクと希望に溢れた1年を迎えた頃だった。
やってしまった。
足首の捻挫。そして少し治りかけた頃に脱臼。癖になってしまった。
大好きな踊りを踊る事が難しくなってしまって結果辞める事に。日常生活にはさほど影響はなかったけれど。
もちろん手術も考えたが、完治するかどうかも分からない、と医師から言われてしまう。
考えて考えて出した答えは
辞めて次の人生楽しみたい、だった。
夢が消えてしまった。絶望の毎日。辞めてから約1ヶ月間何もしたくない、悲しくて悲しくてしょうがない。布団から出られなかった。ずっと泣いていた。
夢にみたバレエの先生に成れたと思ったのに、何でこんな事で辞めないといけないのか。自分の身体の弱さ、不甲斐なさ、落ち込むだけ落ち込んだ。
次にやりたい事なんて何も無い。夢は消えてしまった。
夢なんて忘れてしまった。
少しずつだが時間が落ち込んでいるのを癒してくれた。そして自分で乗り越えていった。しかし、ぽっかりと空いてしまったその大きな穴はなかなか埋まらなかった。あの頃はただ何となく目の前に出現してくる課題をこなしていく事で社会人として世の中と交わっていく日々だった。
医療事務、介護職、社会の役にたつように我武者羅に頑張った。その間家庭も持ち子供にも恵まれた。今振り返ると普通に幸せではあったと思うが、生活する事で精一杯、家族と仕事中心の毎日。職場と家庭の往復。自分の時間はほとんど無かった。夢なんて考える余裕もなかった。
唯一数年に1度、大好きなアーティストのライブに行く事が生きている証だったのかもしれない。
今年2月からレビー小体型認知症で車椅子生活の介護5になった母の介護が始まった。私は精神的に参ったこともあって昨年春に仕事を辞め、それからは静かな静かな時が流れている。そして母の介護している間は母との時間だが、1人の時間が出来ている。
こんなに時間あるのって、いつ以来?
バレエスタジオを辞めてしまった時以来かも。
つい先日からこのnoteを書き始めたのもこの時間ができたから。母の事、自分の事を深く考える事ができている気がする。
そろそろ自分の人生のこれからの事をゆっくり考えてもいいのかもしれない。
小さな夢をみてみようか。
小さくていいから考えてみる。
『何歳になっても夢を持っていい』
活動中止したあのグループの1人が言っていた言葉が胸に刺さる。
子供の頃感じていたワクワクする思い。
何がしたい?考えてみた。
自由にあちこち行けるようになってからだが、旅行に行ってみたい。電車や飛行機、車でドライブ、船等々。
独身時代に行った社員旅行、結婚してからの里帰り以外には数える程しか行けていない。
ゆったり温泉に入り、その土地の郷土料理、景色を楽しむそれだけでも嬉しい。
やはり日本がいいな。考えていると 、とても楽しくなって来た。
いつの日かこのささやかな夢を叶えるために今は体調を整え元気に生きていけたらと思う。
元気でいればもっと大きな夢を持てるかもしれない。日々精一杯生きているだけでなく、ぽっかりと空いた心を埋める何か。
まだ探している、見つけた訳では無い。
子供の頃のように心ワクワクする夢が見つかった時はまたこうして形に出来るといいのだけれど、果たしてどうだろうか。
『何歳になっても夢を持っていい』
心の中で繰り返す。
あなたの夢はありますか。
読んで頂きありがとうございます。今日まで猛スピードで綴ってきたこの介護日記ですが、少しペースダウンしてゆっくり書いていこうと思っています。
次が書けたらまた覗いて貰えると嬉しいです。
明日も楽しい事が沢山ありますように…