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樹がいつか枯れるように 〜人生会議を考える〜

こんばんは。

プロフェッショナルスクールのオガール合宿から2週間が経過しようとしています。時の流れ早すぎる…

相変わらず「やるやつはやる、やらないやつは学んでもやらない」という、宇宙の大法則に基づいているスクールなので、大口を叩いてきた以上アクション出来ねば顔向けできぬ…といった感じです。頭で悩んでいても動かないのはこの一年でよく分かっているので、取り敢えずアクションを取り続けることだなと思います。

自分が取り組むテーマとして、終末期の過ごし方を医師や家族と話しておく過程である「人生会議(ACP)」を、よりライトに、ポジティブに、多くの人が取り組める地盤作りがやりたいなぁと考えています。
今のところは、地域で死生観の形成を担ってきたお寺で、普段と違う環境で心を整えながら、対話を通じて人生楽に考えてみようよ、的なことがやりたいなぁと。

そもそもなんでそんなことやりたいの?とか、具体的にじゃあ何をやるの?ってところ、今の考えを簡単に書き綴ろうと思います。暇つぶしにでもゆるゆるお読みください…

〈note AIの3行まとめ〉
-終末期の過ごし方を考える「人生会議」をよりポジティブに、多くの人が参加できるように地盤を作りたい。
-人生会議はいずれの終末期の過ごし方を話し合える場であり、望まぬ延命治療をなくし、死に対してネガティブなイメージを払拭することも目指している。
-行政的な負担や健康への無理な要求を減らし、健康を楽しみながら介護費も削減できる方法を模索している。

1.人生会議って何よ?

人生会議(ACP:アドバンス・ケア・プランニング)とは、いずれ来る終末期の過ごし方について、考えて話せる内に周りの大切な人や医師と話しておこうというものです。
自分の最期についてイメージを持ち、共有しておくことで、延命や最期を迎える場所など、死を迎える最期の瞬間まで本人の尊厳を持った医療ケアを受けることができる可能性が高まります。

2.人生会議をやるワケ

①望まぬ延命治療をなくそう

なんで必要かって言うことですが、背景に望まぬ延命治療があります。最期を迎えるにあたり、7割の人が自身の意思を表明できない状態になると言われています。一方で、話せる内に自分の意思を確認している人は5割強であるため、単純計算で3割の人が望む最期を伝えられていないままその場に臨んでしまうリスクを抱えています。

②死はネガティヴなものじゃ無い

医療の発展により、死は僕たちの生活から縁遠くなり、結果的に強いネガティヴイメージとなってしまいました。どうせ避けられないものなんです。死を過度に怖がらず、受け入れて、寄り添って、ちょっと前向きに考えられたら。そんな思いが僕の胸の中にあります。自分ができていないので、ある意味自分の為のアクションでもあります。

③医療費・介護費を減らそう

行政的な都合で言うと、延命治療にかかる医療費も平均して月10万円程度と、ご家族等の負担もありますし、行政的にも医療費負担が増加します。医療費負担のGDP割合が鰻登り()なので社会的にもなんとかしないといけないところもあります。
また、自分の中のもやもやでもあるのですが、「健康」を外から押し付けられるのって窮屈だなぁと。内発的に「健康でいたい」理由づけがあれば、健康づくりや介護予防をもう少し楽しめるんじゃ無いかな、それで健康が続けば介護保険費もちょっと下がるんじゃ無い?という考えもあります。

3.具体的に何やりたいの?

①お寺ワーク

なぜお寺?が気になる方も多いかもしれません。ふと考えてみると、ここまでの話って昔は宗教が担ってきた分野なのかなぁと。富山県は浄土真宗が主流なのだそうですが、その教えによれば「命を終えると、阿弥陀様の浄土へ旅立つ(出典)」という死生観で、死は悲しむものでは無いのだそうです。愛別離苦に関するお話もあり、旅立つ側と送る側(グリーフケア)のケアが宗教と言う概念により救われていたと考えられます。一方、現代を生きる私たちの中では宗教に触れる機会が少なく、「葬式仏教」と揶揄する言葉もあるようです。
宗教に救いを求めなさい、と言うつもりはありませんが、宗教の死生観に触れてみることで死にたいする向き合い方も少し優しくなれるかな?と言うのが僕の考えです。あと単純に、お寺でじっくり自分について考えるってマインドフルネスだよなぁ、楽しそうだよなぁと。笑

②対話をしよう:フォルケホイスコーレに学ぶ

フォルケホイスコーレなるものをご存知でしょうか?北欧独自の教育カリキュラムで、民主主義を育むための学校です。学校では正解や試験が与えられるわけではなく、答えのない自分の生き方に対し、内省、他の生徒や教師との対話を通じて、自分なりの答えを形作っていくものです。
人生、究極の命題であり、誰も答えを出すことができないものです。それでも僕たちは、各々の人生を消化し、死という期限付きで納得のいくよう生き抜かないといけない。そんなときにフォルケホイスコーレの教育方針から学べるものは多いと考えてます。

③形にしよう 僕たちの生きる方角

お寺での内省、対話を通じて、今の自分なりの人生、死に対する一つの答えを出してみたとします。それをエンディングノートなり、何かしら形として残しておきたいものです。
これから各々の人生を生き抜く中で定期的に見直すもよし、いざ最期に向き合う必要が生じた時に自分の意思として予め大切な人に共有しておくもよし。今頑張って向き合った自分が未来、他人へ贈るものとして文字等で残しておきましょう。

4.最後に

自分の気持ち整理も兼ねて書きました。あなたはどう感じられたでしょうか?
賛成反対含め、あなたの人生の中で最期のイベントである「死」について少し目を向けていただければ嬉しいです。
また、具体的なアクションに繋がった際は、「こんなことを考えてるんだった」と
このノートを思い出していただき、良ければ応援してもらえたら嬉しいです。その時は是非皆さんと一緒に考えてみたいなぁ。

僕は明日からもまた生きていきます。
拙文ですがお読みいただきありがとうございました。

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