第13回「なぜ誰とも繋がれないのかを考える」 / Youtube用台本
イントロ
このチャンネルは、1978年生まれの就職氷河期世代の当事者である私が、目前に迫ってきた50代を見据えて「これから」を考える動画を投稿しています。
今日は、「就職氷河期世代は、なぜ誰とも繋がれないのか」というテーマで考えていきます。
前回の動画の最後で、辛いことをシェアして励ましあえるようなコミュニティを構築することこそが、就職氷河期世代の「これから」の幸せの鍵であるとお話しました。
しかし同時に、そんなコミュニティはどこに存在するのか、どうやって構築すればいいのかと、途方に暮れてもいるともお話しました。
就職氷河期世代は「どこを拠点にして、何を拠り所にして合流すべきなのでしょうか」と。
それを考えるためにも、なぜそもそも私たちは誰ともどことも繋がれないジレンマを抱えているのかということを、私自身の経験も踏まえて考察してみたいと思います。
私たちは「苦労話」を直球で話し合いたいだけではないか?
いきなり結論からお話すると、私は、同世代の皆さまの率直且つ切実に満たされていない欲求として、何の気兼ねもなく「苦労話」をしたい思いがあるのではないかと思い至りました。
だから私は、前置きもあと腐れもなく、シンプルに苦労話をシェアするための茶話会のような集まりが、コミュニティ構築のとっかかりとして良いのではないかと考えています。
SkypeやZoomなどのオンライン上のビデオ会議ツールを用いて、集まった人たちだけでひっそりと、でも濃密に、遠慮なく苦労話や愚痴を言い合うことを目的とした会です。
いのちの電話の相談員の経験を通じて、人は自身の苦労話という物語を、誰かと共有するだけで救われ浄化されることを、私は知っています。
そして就職氷河期世代の苦労話を正しく受け止められるのは、当事者である就職氷河期世代であろうと。
上の世代から負担を押し付けられ、下の世代からは冷笑されている現実がある以上、私たちは誰に頼ることもなく、自前で自身を癒していくコミュニティを作ることが最も手っ取り早いです。
数だけは多い就職氷河期世代なので、何かのきっかけがあれば、そう労せずとも「会」と呼ぶに相応しいコミュニティが構築できるのではないかとも期待しています。
数だけは多いのに、なかなか繋がることができないのはなぜかと言えば、点と点を結ぶ「接着点」が極端に少ないからでしょう。
この動画で詳しく掘り下げることは致しませんが、現代の一般的な日本企業では、40代から50代にかけての就職氷河期世代は、極端に人数が少ないことで知られています。
単純に採用人数が少なかったからというのが最も大きな要因ですが、それに付随して、心が折れて引きこもりになる人数も多い世代であることも影響しています。
少数精鋭である勝ち組であっても、早々にFIREを達成して海外に移住したり、あるいはリストラの対象になるなどして、やはり日本社会のメインストリームから撤退しています。
他の世代では、当たり前のように確保されている職場や地域社会、同窓会といった「同年代が集う場所」が、極端に少ない世代が私たち就職氷河期世代です。
結果、崇高な目的も、生産性も関係ない、ただの他愛ない話ができる場所も相手もいなくなりました。
不遇な我々世代の愚痴や苦労話は、そっと自分たちの胸にしまっておくしかなく、そんなものは遠からず怨念のような呪物に変容し、私たちの内側からその身を滅ぼしていきます。
その滅びの最たるものが「無敵の人」の重犯罪ではないかと思います。
その怨念をひた隠して誰かと繋がったところで長続きしない
私は、自身のうつ病と親のがん闘病の付き添いを理由に、仕事と社会からドロップアウトしてから、就職氷河期世代の当事者として社会問題に対する意識の芽生えを自覚し、様々なコミュニティと繋がることを試みました。
就労支援などの福祉サービス、貧困や生きづらさに関係するボランティア活動、うつ病当事者による自助グループ、などなど。
その経験は、何も悪いことばかりではなく、基本的にそれらのコミュニティから得られた学びや励ましがあったからこそ、新しい仕事にも就けて、生活保護を廃止し、さらなる余力で当チャンネルの活動を始めることもできました。
ただ一方で、なぜこれらのコミュニティとの繋がりはいつも限定的で、一過性に終わってしまうのか、と残念な気持ちになってきたのも正直なところなのです。
そのコミュニティを「卒業した」と言えば聞こえはいいかもしれませんが、どちらかというと私の方から、「やはり深い部分で分かり合うことなどできやしないのだ」と諦めてしまったという方が正しいニュアンスです。
どうしてなのだろうかと考えていると、ふとある自分の気持ちに気づきました。
「自分は就職氷河期世代としての苦労を、何より『率直に』分かち合いたいのだ」と。
私が話をしたい人は、まさに同年代・同属性の人たちなのだと。
先ほど、一般的な日本企業では、40代から50代にかけての就職氷河期世代は、極端に人数が少ないとお話しましたが、それは実は企業だけではないのです。
私の狭い世界の観測結果で申し訳ないのですが、福祉サービス、ボランティア活動、自助グループにおいても、その傾向は変わりませんでした。
60代以上のシニアか、30代以下の若い世代は、それぞれに一定の人数が参加する中、40代と50代はいつも数人か自分一人という状況が当たり前でした。
そういったコミュニティで「就職氷河期世代として…」とか「私たちは失われた世代、なんて言われ方をしていて…」という話をしても、いまいち皆さんピンと来ないというか…。
「それって何?」というリアクションか、良くて「一般教養としてそういう世代がいるのは知っています」程度の温度感でした。
こういう時は決まって何とも言い難い孤独を感じるのですよね。
本当に、本当に、時代や政治に振り回されてしんどいことがたくさんあったのに、少し世代を隔てるだけで、こうも他人事なのかと。
一方で自分だって、第二次世界大戦の話をされても「授業で習った」程度の反応しかできないでしょうし、大震災の被害者を目の前にしても、その災害で大切な人を失った人の悲しみを深いところで理解することなどできません。
それはそれで当然のことと受け止めても、それでも分かち合いたいと願う、油断すると怨念に変容してしまうような苦労話は、そのまま放置され自身の内側で発酵を続けるのです。
そして、どこかのタイミングで、そのコミュニティをそっと「卒業」することを決めるのです。
もう一人の「私」は、どこかに、しかも少なからずいるという確信だけはあった
このチャンネルを始める前から、確信だけはありました。
私のような人は、どこかに必ずいると。
それも少なくない数の、もう一人の「私」がいるのだと。
それは、人口動態統計などを参照せずとも理解できることでした。
こんなしんどい環境で、1発も被弾せずに順風満帆に人生をやり過ごせている人が、多数派なわけがありません。
私のようにわかりやすく生活保護を受給するまでドロップアウトした人も、一見幸せそうな家庭を築いている人も、インターネットビジネスで一山当てて海外移住を成功させた金持ちも、あるいは地方自治体のトップにまで上り詰めたようなエリートも、共通して持ち合わせている痛みがあるはずなんだと。
それは、好意や同情を向けてくれる他世代の人には申し訳ないですが、同世代でないと決して分かち合えない痛みなのだと思います。
だから私は当チャンネルを立ち上げることにしました。
就職氷河期の「これから」を、テーマの真ん中に据えたメッセージを発信したかったのです。
うつ病の急増や、貧困問題のついでに、「就職氷河期という世代背景もある」という世代性を添え物にするような切り口では、私自身が満足できなかったのです。
「就職氷河期世代そのもの」を中心に、さらに過去ではなく「未来」を見据えて、世代の当事者がものを語ることが許される場所が欲しかったのです。
まとめると、氷河期世代が誰とも繋がれない理由は2つ
一旦まとめると、私が自身の経験を元に考えた結果、就職氷河期世代が誰とも繋がることができずにいる要因には、2つの理由があると考えています。
1つ目は、我々世代は社会の中で散り散りになってしまっているからです。
2つ目は、にも関わらず、我々世代の痛みは我々世代にしかわからない、というジレンマも抱えているからです。
基本的に私たちは、同世代・同属性の人たちと繋がるための接着点を持たず、散り散りになりながら、個人戦を戦っています。
我々は息をひそめてひっそりとゲリラ活動のようなサバイバルを行っているので、たまたま運よくどこかの集落を見つけたとしても、そこに同胞など存在せず、他世代が中心となっているコミュニティです。
「どうして新卒切符を無駄にして、きちんとしたところに就職しなかったの?」
「今苦労しているのは自己責任だよね?」
「若いうちから貯蓄も投資もしなかったのはなぜ?」
「将来のことをしっかり考えている私たちが、お気楽無能なキリギリスのようなあなたたちの老後を支えるなんて嫌なんですけど」
と、圧をかけられ、冷笑され、でも「自分たちの若い頃は」と説明しても、言い訳としか受け取ってもらえず…。
頭を振りながら、簡単な補給だけを済ませて集落を後にして、また我々は孤独なサバイバル生活に戻っていくのです。
本当に偏屈な考え方をしていると、自分でも呆れてしまいますが、何度考えても、こういう結論に行き着くので、ひとまずこういうまとめ方で納得することにしています。
各々が置かれている状況によってディテールに差はあれど、本来仲間内で吐き出し合って供養されなければならない、氷河期世代特有の苦労話が、今は多くの人々の胸の中でひっそりと発酵を続けていることでしょう。
社会問題を語るついででもなく、政治の不満をぶちまけるついででもなく、ただただ純粋に同年代の苦労を思う存分に語ることのできる場が、私たちには必要なのではないでしょうか。
当チャンネルが主催してみたい茶話会について
ということで、ここまでの仮説と考えを踏まえ、私が言い出しっぺとなって、開いてみたい茶話会についてお話します。
うっすらとイメージだけは持っていましたが、このチャンネルでお話するには時期尚早ではないかと思っていたので、ここまで触れずにきていました。
特にこれといった根拠はありませんが、チャンネル登録者数が1,000人程度集まった頃合いが適切なのではないかと考えていました。
しかし、大変ありがたいことに、私の想像を超えて、動画のコメント欄やXのアカウントに様々な反響が寄せられる状況もあり、やるかやらないかを一旦別にして、頭の中にある大雑把な案だけでも、動画の中でお話しても良いのではないかと考えるに至りました。
賛同下さる方がいらっしゃれば嬉しいですし、反対意見を寄せられても参考になりますし、黙殺されるならやはり時期尚早だったということでしょうし。
改めて考えると、リスクなど「反対されたり黙殺されると、ちょっぴり悲しい😢」くらいしかないことに気づきました。
ということで、以下、私が今考えている茶話会の案です。
1.SkypeやZoomなどを用いてオンライン上で開催。顔出しも任意。
2.参加費はもちろん無料。
3.参加可能な人は、おおむね1970年~1984年に生まれた人。
4.テーマは各々が話したい「苦労話」。
5.1人の話が終わったら、参加者で自由に語り合いスタート。特にリアクションが欲しくない人は、話始める前にそう宣言することで、リアクション禁止の話しっぱなしも認める。
6.途中の入室と退出は自由。挨拶不要の、無言落ちでも構わない。
7.ただ話を聞きたいだけの人(いわゆるROM専)もOK。
8.会で話したことは決して外部に公開しない。録画も禁止。
9.だいたい2~3週間に1回くらい開催。時間は夜と昼、様々な時間帯でできると良いか。
今、考えている案はこんなところです。
ご意見などあるかたは、動画のコメント欄やメール、XのアカウントにDMを送ってくださると、大変嬉しいです。
Xのアカウントとメールアドレスについては、動画の概要欄に記載しています。
この茶話会のアイデアが実現するかどうかは別として、仮に実現しなくても、当事者としてこういう妄想に至った、という事実だけでも記録する価値はあると考え、今回はこのような動画を発信してみました。
以上が、私なりの「就職氷河期世代はどこを拠点にして、何を拠り所にして合流すべきなのか」についてのアンサーとなります。
よろしければ、ご視聴様も一考下さいますと幸いです。
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