第7回 禅から学ぶ持たない生き方 / Youtube用台本
イントロ
このチャンネルは、1978年生まれの就職氷河期世代の当事者である私が、目前に迫ってきた50代を見据えて「これから」を考える動画を投稿しています。
今回は金嶽宗信(かねたけ そうしん)氏の著作「[禅的]持たない生き方」をテキストにして、少ない物とお金で幸せに生きる術を学んでいきます。
以前の動画「就職氷河期世代の「節約」について考える」ではお金への依存度を下げることが、幸せに繋がるとお話しましたが、さらにそれを掘り下げた内容になります。
よろしければそちらの動画と併せてご視聴ください。
持たない生き方
金嶽宗信氏は、1961年生まれの臨済宗の住職さまです。
NHK大河ドラマの仏事監修も行われるなど、異色の禅僧として紹介されることもあるようです。
そんな著者が、禅の考え方を紐解きながら、「持たない生き方」を説いたのが本著です。
現在アラフォー・アラフィフの就職氷河期世代は、高収入を得にくい条件が揃っていますので、これから収入を増やそうとか、少しでも多くの資産を形成しようという方向で努力するのではなく、いかにモノやカネに頼らずに幸せになるかを探求した方が、コスパ・タイパが良いと考えています。
またそれは、自ずとお金を使わない「節約」にも繋がり、仮にそれで少しでも貯蓄や投資に回せる資金が生まれたのであれば、その時は無理のない範囲で資産形成に着手すれば良いのではないでしょうか。
禅では「今を生きる」ことを大切にします。
低収入である「今」、どうすれば幸せになれるのか。
「今」を幸せに生きれば、未来にも自ずと光が差します。
今回の動画を製作するに当たり、質素倹約を良しとする生活をされている方々の声を集めていました。
驚くほどに、多くの方々が穏やかで充実した生活を送られているようで、目から鱗が落ちる思いでした。
それこそ「就職氷河期」というワードで検索すると、阿鼻叫喚の地獄絵図のような惨状がブラウザ上に広がるのですが、「質素倹約」というワードでは、慎ましくも自己肯定感の高い方々の言葉が目に入るのです。
「贅沢はできないけど、心地よい生活を送っています」
「雨風しのげて三食いただいています。それだけで十分です」
「物は少ないけれど、いつもすっきりした部屋は居心地が良いです」
「持たない生き方」の著者である金嶽氏は「実は人間、物がないほうが、心豊かに過ごせます」と述べています。
「その一つひとつの物に対して執着が生まれると、心を乱す原因が増えます。それなら、はじめから物がないほうが楽だし、心も乱れません」
もっとお金が必要だ。
物がないと幸せになれない。
そういう思いに捉われていると、いつまで経っても、「自分たちは時代に恵まれなかった」「これから先も一生幸せになれない」というループから抜け出せません。
国や政治がいつまでも停滞を続け、棄民世代として黙殺されるのであれば、私たちの価値観を「持たない生き方」にアップデートした方が手っ取り早いでしょう。
ということで、次の章からは「持たない生き方」を実践するための具体的なステップを見ていきます。
いさぎよく捨てる
禅の教えでは「所有とは執着である」と考え、持っている物に付随して次から次へといろいろな執着が発生していくので、修行僧の頃から極力物を持たないことを徹底されるそうです。
衣服以外は「柳行李(やなぎごうり)」という柳や竹で編んだ小さな箱1つに入る分しか、物を所有することを許されません。
その中に最低限の食器や、ティッシュペーパーや歯ブラシなどを入れておくのみ。
修行僧ではない一般人がそこまでストイックにミニマリストになれるわけではないですが、「所有とは執着である」、つまり物が増えるほど不自由に縛られて幸せになれない、と意識のどこかに置いておくくらいはできるかもしれません。
そういう考えを胸に刻みながら、まずは所有物を減らしていくことから始めましょう。
いさぎよく物を捨てるにはどうすれば良いでしょうか。
著者は「自分が「あって当たり前」だと思っているものを、一つひとつ見直してみるといいでしょう」と言います。
本当にそれは生活に必要なのか。
活用できているのか。
ほこりを被ったまま放置されていないか。
他の物で代用することはできないか。
そうやってブラッシュアップしていき、不要な物は処分していきます。
ここでも「今」を大切にします。
「今」それは本当に必要なのか。
「今」必要のないものは、いさぎよく捨てる。
ひとつ物を捨てる度、心のスペースに空きができてゆとりが生まれます。
ただ捨てるのに抵抗がある人は、リサイクルに回すことで「もったいない」という罪悪感を薄めることができます。
自分には必要なくなったけれど、次の必要な誰かにお見送りをする。
それであれば、罪悪感なく捨てることができるかもしれません。
何を捨てるのかと突き詰めて考えることは、禅が重んじる「自問自答」そのものであると著者は述べています。
つまりは、自分の価値観を洗練させる修行の一環なのです。
無駄なものは買わない
所有物を最低限必要な分だけに減らしても、また余計なものを買い込んでしまっては元の木阿弥です。
禅の考え方では、物を買うという時点でそれに執着するということなので、さらに心を乱すよろしくない行いとなります。
「仕事を沢山すると収入は増えるけど、ストレスでつい無駄な買い物をしてしまい、結局収支はマイナスだ」という話は、よく聞くものです。
今だけの限定品です、タイムセールです、と煽られれば、ついつい購入欲を刺激されますが、ここでもくどい様ですが「今」必要なのかとじっくり吟味し、問い直す姿勢が大切です。
著者は、10の物欲を完全に取り除くのは難しくても1にすることならできるのではないか、と述べます。
高田好胤(たかだ こういん)さんという高名なお坊様のお言葉を引用します。
「最大の努力をするのに、最小の利益で納得できる人間を菩薩という」
普通の人間は1の努力で10の対価を求めるものだが、10の努力で1の対価で満足できる人になろうという教えです。
欲を小さくすることで、少しのものでも満足できる心を育てることが大切だと説いているのです。
同じ種類のものを無駄に買い集める行為も、好ましくありません。
洗剤が必要だとして、トイレ用、床用、風呂用、キッチン用と色々と売られていますが、ここまで細分化して揃える必要が本当にあるでしょうか。
基本的な洗剤を1つに絞り、大容量のものをまとめ買いし、それで事足りない部分は重曹やクエン酸といった安価で購入できる物で代用するだけで、かなりの節約になります。
1つ増やすときは、1つ減らしてから、というルールを作るのも有効です。
あれもこれもと買い足すのではなく、1つのものを使い切ってから、あるいは処分してから、次を買うようにするだけで、家に物があふれることを防げます。
そもそもそれを「買う」のではなく「借りる」選択肢はないか、という問いも重要です。
年に一度しか使わないようなレジャー用途のキャンプ用品などは、レンタルで済ませても良いでしょう。
レンタルで済ませると、保管場所を取られないですし、メンテナンス費用もかかりません。
これは私が個人的に実践していることですが、どうしても買い物欲が出てしまう時は、スーパーで多めに食材を買います。
食べ物は多少買いすぎても無駄になりません。
もちろん腐らせてダメにしないように気を付けますが、食べ物はいつか消費し、健康な体を作ってくれる礎になるので、長い目で見れば無駄とはなりません。
安易に出来合いの惣菜や加工品を買うのではなく、野菜や肉や魚など、素材そのものを買うように心がければ完璧です。
トイレットペーパーなどの消耗が前提の日用品も悪くないのですが、どうしても保管に場所を取るし、消耗するまでに長い時間を必要とするので、私は食材をおすすめします。
またウナギや牛肉などの高級な食材も、外食したらこんなものでは済まないと、時にはえいやっと買ってしまうことを許すこともあります。
この辺りは自分の財布の中身と相談しつつ、自分だけの上手な無駄遣いを探してみてはいかがでしょうか。
悪い感情は持たない
物への執着を捨てたならば、次のステップは「悪い感情」を持たないようにすることです。
悪い感情とは「人との比較」です。
「人と比較するのではなく、自分の持てる力を最大限に生かすことに集中したほうがいい」と著者は言います。
人の長所と自分の短所を比較するのではなく、自分の長所を活用する方法を模索します。
禅の僧侶は座禅を通して自分を見つめなおす時間を作りますが、せめて一般人もお風呂に入る時間や通勤するときの電車の中で、意識的に自分と向き合う時間を作るべきです。
口下手な短所は、誠実な話し方ができるという長所にもなり得ます。
「その人の能力が最大限に発揮できるのは、その人が無心の状態にあるときです」と著者は述べています。
今風に言うのであれば、ゾーンに入る、ということでしょう。
自分の外を意識していると、人はパフォーマンスを発揮できません。
人のことは意識せず、自分のできることに精一杯集中している時、最大のパフォーマンスを発揮します。
著者は豊臣秀吉のこんな言葉を紹介しています。
「自分は、足軽の時は足軽の仕事を精一杯やり、士分になったら士分の仕事を一生懸命にやり、そうしたら大名になった。大名になって一生懸命、大名の仕事をやっていたら太閤になった。だからはじめから太閤になろうなんて思ったことはない」
不必要なものを捨て、新たに余計なものを背負いこまず、自分がゾーンに入れる何かを探す。
「持たない生き方」の真髄が見えてきました。
余計な人間関係は持たない
物への執着、人と比較する感情から脱却し、最後に捨てるものは「余計な人間関係」です。
しかしそれは、全ての人間関係を捨てて孤高に生きろ、ということではありません。
著者の言葉をお借りすると、「人間関係は良い加減」ということになります。
いい加減ではなく、「良い加減」です。
お風呂の湯加減と一緒で、自分が心地良いと感じる基準は人それぞれです。
大切なのは自分が無理と感じない深さの人間関係を心がけることです。
自分なりの湯加減を知ったら、無理に風呂敷を広げず、SNSの「いいね」を獲得しようと躍起になるような不毛な行いは改めます。
としながらも、著者は、これからの時代人と全く繋がらない「おひとり様」的な生き方も厳しいと説いています。
なぜならば、日本はこれから人口が減っていき国力が低下するのは確定しているので、一時失われてしまった「みんなで力を合わせて生きていこう」というスタンスが見直される時が来るからです。
だからこそ、「良い加減」の人間関係を作っていく術を学ぶ必要があると著者は考えているようです。
一方で著者は「人と合わせるくらいならば、一人でいるほうが何倍も愉しく充実して過ごせる」というタイプの人も否定はしません。
それは孤独ではなく「自立」しているのだと評価します。
自立なしに「良い加減」の人間関係は作れない。
著者の言う自立とは、一人の時間をきちんと一人で過ごせることです。
自立して自分の人生を生きるからこそ、一人では成り立ちえないと知るのです。
「余計な人間関係」とは、自立とは関係のない、「いいね」という承認欲求を得るためだけの、虚無にまみれた有象無象の繋がりのことを言うのでしょう。
それもおそらく、禅の教えで言うところの執着なのです。
心を縛り付けるような人間関係はいさぎよく捨て、自分にとって本当にプラスになる人間関係を大事に育てていくべきです。
随処に主と作れば、立処皆真なり(ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり)
それでは最後にまとめます。
禅は「今」を大切にします。
そのために「持たない生き方」を目指します。
なぜならば、何かを所有することで、心を惑わせる執着が生み出されるからです。
・いさぎよく捨てる
・無駄なものは買わない
・悪い感情は持たない
・余計な人間関係は持たない
これが「持たない生き方」のためのステップです。
最後に本書で紹介されていた言葉をご紹介いたします。
「随処に主と作れば、立処皆真なり」(ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり)
常に主体性を持った人間であれば、どんな場所にいようとも自分が主人公で、生きがいのある人生を送ることができるという意味です。
現在の40代から50代にかけて、就職氷河期世代と呼ばれる私たちは、ある意味で幸運な世代でもあります。
戦後からバブルが崩壊するまでに、いつの間にか人の命すらよりも価値が高くなった「お金」や「経済」といった幻想と狂騒から引きはがされて、元来人が求めていた「幸福」を見直す機会を多く得られているとも言えるからです。
それを外からは「失われた世代」とレッテルを貼られ、お金に依存しないと宣言すれば「負け惜しみ」と取られるかもしれません。
企業で働くことを拒否して、部屋に引きこもる人は、社会のお荷物扱いなのかもしれません。
しかしその社会や国家を支える資本主義や民主主義という枠組みが、日本のみならずグローバルという視点で見ても、疲弊して行き詰ってしまっていることに異を唱える人は、そうそういないでしょう。
民主主義を採用する先進国は多かれ少なかれ国民の幸福度を下げており、出口の見えない閉塞感や絶望は、もはや万国共通です。
現在の労働市場に乗れない、無気力な就職氷河期世代は、たった今の価値観ではただのお荷物かもしれません。
質素倹約の中に安らぎと充実を見出し、静かに人知れず自分との対話を重ね、執着を捨て、他者と「良い加減」で繋がる人々が増えていけば、着実にこの世界は良くなっていくでしょう。
今は景気が良かったころの反動で、質素に静かに生きることが不幸だと感じられる世の中かもしれませんが、10年20年と経った頃には、誰もそれに疑問を感じない「当たり前」に変化していても不思議ではありません。
その頃、就職氷河期世代は「日本人の価値観が変化した第一世代」という評価になっているかもしれません。
部屋に引きこもっている人は、引きこもるという態度で、自らの価値観を表明し、社会に影響を与えています。
「随処に主と作れば、立処皆真なり」(ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり)
20代、30代としんどい思いをして、今はろくに立ち上がる気力も湧いてこないかもしれませんが、少しずつエネルギーが回復したら、自分なりの「持たない生き方」を模索してみてはいかがでしょうか。
どんな場所でも、どんな時代でも、自分が主人公で、生きがいのある人生を送ることができる。
偉いお坊様は、はるか古の時代から、そう教え下さっています。
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