いち日本語教師とTwitterの関係性

久々の投稿になります。
2018年頃からTwitterを本格的に始めた際、同じ日本語教師、全国・世界各地で活躍される方々も始められた方が多くこの年は「Twitter日本語教育元年」と言われた。私は2015年9月から日本語学校に勤務し、今思えば下積み期間を送っていた最中でネット内にいる同業者と繋がれる事が楽しかった。Twitterはファボと言ってハートマークで反応する。Facebbokだといいねと親指を立てたマークと同じ意味合いだ。又、コメントのやりとりで私はよくふざけた。離れていく人もいたが恐らく遠い目で見守ってくださった先生とは今でも繋がりがある。昔、心の病を負った事のある私はそれまで自己肯定感も低く、自分みたいな人間が生きていていいのか疑うくらい自信も無かった時期だ。日本語教師になり外国人留学生と接し、その国について話を聞いたりその国の料理を食べる機会があったり自分の世界が広がっていくようで不思議な感覚を持った。同時にプライベートでTwitterでの広がりもあり感謝しかない。自分のツイートに反応が少しずつ増えていき、自己肯定感も不思議と上がってきた。顕著に素直なツイートには反応が多く励みにもなった。日本語教師と一口に言っても働き方も多様だと知った。

2023年になった今、知ったのは、コロナ禍に始まったオンライン飲み会がもうすぐ4年目に突入する事、YouTubeで日本語教育について発信しチャンネル登録者数が何十万人いる日本語教師がいる事、ノマドと言ってオンラインで働きながら世界各地を廻られる教師がいる事など、刺激で溢れている。私もYouTubeや音声配信など試みてはみたが、尻切れトンボだ(笑)

勉強会に積極的に参加される先生方を見ていると頭が下がるし足元にも及ばないが教師としてタイプが違うなとも感じている。Twitterで「先生らしくって何だろう」と私が呟いた際、「まっちゃん(旧Twitter名)らしくでいいんだ」と背中を押して貰ったことは忘れられない。ちょっとだけ誇れることがあるとすれば各地のキーマンになるような先生方と交流を持てた事。コメントやDM(ダイレクトメッセージ)でやり取りをさせて頂いた事だ。段々自分が皆さんから持ち上げて頂いているんだと思うようにもなり感謝を伝えた事がある。

37歳で右も左も分からず日本語教育業界に飛び込んできた私だがTwitterが無かったら今どうなっていたか・・。
他にも自分のプライドの高さや、日本社会へ適応能力が低い事も、自分が自己犠牲が出来ることもTwitterから学んだ気がする。「友」と呼べる同業者が世界各地に居る事が何より嬉しい。

2023年になり事情がありTwitterのアカウントを変更した。告げると80名近いやり取りが濃い方々がフォローして下さりまだ増やしたい欲はあるが大切にしたいなと思える方々だ。顔も名前も知らない(只Twitter名だけ)方との大切な繋がりをこれからも温めていきたい。

自分が登りたい山を決める。

ソフトバンクの孫正義さんの言葉だが、自分も次なる山を決めたい。一つ目の山は各地の先生方と冗談交え、楽しく交流が出来た事。次は実績、稼ぐ事も目標に入れたい。福岡には年商2,000万円の日本語教師の方も居る。最近呟いて反応は無かったが、日本語教師だけじゃなくてコーチング×コンサルティング×エンターテイメントが出来れば、稼げるのでは?と半ば本気で考えた。

私は人を楽しませるのが好きだ。勿論、学習者に始まりTwitterで繋がる同業者の方々も・・そういう意味合いで現在のTwitter名に「エンターテイメント」と入れている。もう1つの「羊飼い型リーダー」は自分のリーダーシップを表現したら羊飼い型になる。これは前方にも立てるが後方からグループを押し上げる役割が出来るリーダーシップだ。振り返れば中学時代の自分がこうだった。社会に出てからのリーダー経験は2019年から2年半、日本語学科の教務主任をした事。自分なりに講師間のコミュニケーションが円滑になるように頑張った。コロナ禍、なかなか学習者の入国が儘ならない時期が続き加え緊急事態宣言など苦しい時期でもあったと思う。

海外で日本語教師も2020年頃、求人をみたりしたがこれといって国を定めることが出来ずにいた。一度は海外から日本を見て、思う事をTwitterに呟いてみたい。

長くなったが、いち日本語教師とTwitterの関係性はこれからも続く。Twitterやオンラインで繋がった先生方と刺激し合いながら業界を盛り上げていこう。まだまだ認知度が低い日本語教育業界、多文化共生社会構築にも繋がる大切な仕事だ。頑張ろう。

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