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【バクトリア・パルティア】古代オリエントの世界 12/14

前回まで

ペルシャ人によるアケメネス朝。
内政はアッシリアからの反省か
融和的な政策をとっていくが
対外的にはギリシャ人とウマが合わず
ペルシャ戦争など幾度も交戦。
アレクサンドロス大王の遠征により
征服される。
アレクサンドロス大王の死後
アジア地域を引き継いだのは
セレウコス朝シリア。
文化的には
ギリシャ風になっていく。

2つの国の独立(バクトリア)

バクトリア地方では
知事のデイオドトスが独立。
バクトリア王国となる。
東西の要衝だったため
地理的な利とお金を持っていたか。
結局100年ほど続くが
遊牧民のトハラに滅ぼされている。
文化的には
東西の融合が進み、
ヘレニズム文化、が栄える。

2つの国の独立(パルティア)

カスピ海東岸
イラン系遊牧民が
セレウコス朝から独立。
アルサケス朝パルティアを開く。
アルサケス、の名は
遊牧民の族長、アルサケスの名前。
パルティアは
その後勢力を拡大する。
ミトラダテス1世でイランを統一。
さらにバビロニアにも進出。
オリエントにも勢力を拡大した。
文化的にはやはり交通の要衝で
シルクロードでの
中国とローマの貿易を独占していた。
軍事施設はクテシフォン。

パルティアの終焉

ローマのトラヤヌス帝にクテシフォンを奪われ
勢力弱まり、
イラン系農耕民の国
ササン朝に滅ぼされる。

感想

アレクサンドロス大王の遠征で
東西文化の融和が進む。
もともとアケメネス朝で整備されていた
王の道がそれを繋げていた。
交通の要所となった地域で
独立が進むのは当然だろう。
それにしても
いったんギリシャ系の文化が
オリエント、イラン、インド北西部まで
流れてきて、
地域にまで浸透し始めていたのは
新鮮だった。
結局イラン系の人たちの独立や
自己の文化、宗教への回帰になるか
文化的には"融合"に進んでいる。

学習に関して

復習し
頭に情報を残しながら
新しい知識を入れていくというのは
学習を進めるほどに
維持する情報量が増えていくことで
学習速度が遅くなっていった。
この1週間で
全身をいったん止め、
かなり復習に時間を使ってみてわかったのは
『忘れてもいい』ということだった。
どうせやったということは
残っている。
テストなりの前に
思い出せばいいだけだ。
なんなら忘れた方が
脳に染み込んでいて
妙に親しみを感じた。
個々の維持できる情報量にもよるが
僕の場合は
アッシリア王国で
1つ再スタートな感じになった。
それ以前のことは
いったん忘れることにし
また再スタートの感じ。
当初の予定では
オリエントやイラン地域
エジプトで一つにしようと思っていたが
僕の脳はそこまでは無理だったようだ。

今後について

実はササン朝も
もうすでに学習が終わっている。
ここで1つ区切って
また新たに
ギリシャを始めることにした。
おそらく
ギリシャの学習をする中で
また分割することになると思うし
その後のローマでも同様になると思う。
『忘れてもいい』どうせ思い出す。
という感覚で今後はやっていく。
マーカーは継続。
黄色の蛍光ペンの利用が異常なのか
今の段階でかすれてきたので
芯を交換した。
継続はやり続けることではなく
期間が空いた後
また始めるということだと
僕は思う。

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