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感情の段階論

最近、いろいろ活動している中で、自分の感情が分からないなと感じることが多くなってるな。。

大学の講義とかでも、中にはこれ「面倒やなー、将来役に立つのかよ」と思うけど、「自己成長につながるから!」と自分を鼓舞する気持ちもある。

この例だと、「将来、こういう方向につなげる!」とかそういう主体的に学ぶ姿勢ではなくて、受動的になっているという前提がある。

かといって、主体的になろうとも思えない。

こうやって感情を少しずつ言語化して紐解いていくと、感情には社会に見せる面として階層があるのではないかという仮説が立った。

上の例だと、こんな感じ

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この関係性は、中間がなくなれば、上が落ちるような、「だるま落とし理論」ではなくて、中間のモチベーションがなくなれば、そこに空白が生まれる。

そう考えると、なんかこれ、無重力空間に存在してる事象みたい(謎)

この階層全てを含めて、「感情」と呼んでいる。

だから、今の俺の冒頭に述べた「感情が分からない」はおそらく、このギャップの存在が大きいことが分かった。

じゃあどうしたらいいんだ?

ここで思いついたことが、あえて自分の「面倒だな」という感情に向き合ってみる。そこから、新しい階層を積み上げていくという解決策だ。

これは「感情」に対して、「受動的なことに積極的になる」という逆説を表している。

これは、先日参加した「ハートトリブン」というワークショップにて生まれたモノです。(なんかこの著者のイヌみたいだけど。。。)

最初はスピリチュアルなことかと抵抗感もあったが、自分の感情に自分で向き合っていく姿勢の重要性を学んだ。

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もう少し、「面倒だな」と寄り添ってどう、向上心につなげていくかを考えていこうと思う、6月上旬でした!


エッセイ的な感じだと書いてて楽しい!これなら続けられるわ😏


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