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ゲーフラ達20周年。その③激動の2004年締め括るのは※アナゴさん登場

3回目のゲーフラ作り

花沢さんの誕生により、勝った時は中島君、負けた時は花沢さんとバランスが整った自分はとにかく毎試合どちらかを掲げるというリアクションを取れるようになっていた。
しかし、花沢さんという「ちゃんとやれ、戦え」というメッセージは、かなり厳しめであり、強力、強烈であったが為に、負けたけれどそこまで悲観するような、罵声を吐くような内容では無かった、という試合では、(そこまで厳しく言いたい訳ではないんやけどな・・・)という感情もありながらも、花沢さんを掲げるという試合もあったと思う。
やはり、この【中間の感情】を表現するような、第三のゲーフラを作成しなければならないような、そんな気持ちは段々と大きくなっていった。

ほとんど勝てず下降線を辿るセレッソ大阪、

そして降格争いへ

2004年のセカンドステージも中盤9月、ホームでのFマリノス戦だったと思うが、調子が上がらない内容と試合で引き分けだったと記憶している。勝てたかもしれないという、非常に中途半端な感情になっていた。ナイスゲームだ、GJだ、という訳では無いので、花沢さんを掲げるのだが、やはり、釈然としない。もう、作るしかない、そう決心したのは、この中途半端な試合の後だったと思う。
そして、その後、アウェイ吹田でガンバに7-1での屈辱的な大敗。下がり続けるチーム状況だったが、このガンバ戦後は、問答無用に怒りの花沢さんが登場したのは言うまでもない。
降格争いの泥沼へ、片足浸かっているような、いや、もう完全に両足浸かっているようなそんな状況となっていた。

3人目に誰を描くか?

そんな状況の中、【3枚目は誰を描くのか】というイメージスケッチを進めていた。町子シリーズ・サザエさんシリーズ以外は考えられない状態だったが、メインキャラクターではなく、いったい誰にするのか。という自問自答をまたも繰り返していた。
しかし、繰り返していながらも、中島君、そして花沢さんというゲーフラを作成し、過去からの自分自身の課題【アイデアを作り出して、表現するのが苦手】という大きな山は乗り越えられていた気がして、少しは自信が出てきていたので、今の自分であれば、良いゲーフラを作成できるだろうという、妙な感覚はあった。

さて、中島君、花沢さん、とくれば、やはりイメージするのは、
カツオのクラスメイトである。
マドンナ的な存在のかおりちゃん、それとも早川さんか、、、
それともあんまり名前を知らない男子か、、、
しかし、かおりちゃんも、早川さんも、その他男子生徒も、何か違う気がするし、インパクトは少ない、弱い感じがして、なかなか踏み切れない日々が続いていた。

よくよく考えてみると、
中島君→男の子。花沢さん→女の子。
というバランスを考えても、カツオのクラスメート縛りでは、偏りがある気もしてきた。。。

となると、ご近所さんや大人達か、となる。
伊佐坂先生、浮江さんなどはどうか、、、
あまりパッとしない。

親戚の海平はどうか。
海平は、波平と顔はそっくりだが、
髪の毛が2本→海平、髪の毛が1本→波平、
という事でよく見たら【海平やんか】
というのも面白いような気がして、少しイメージが広がったが、
逆にこの髪の毛だけでの判断が分かりにくく、
メインキャラクターである波平を描いている事と同じになってしまうかもしれないという、危機察知能力も働き、海平は断念した。

となると、ノリスケやタイコさんはどうかと、夫婦セットもいいのではと思ったが、その当時の自分の力量で、1枚のゲーフラに2人のキャラクターを合わせて描く実力は無い、構図を考えるのも無理と判断し、このアイデアも残念ながら断念となった。

商店街の酒屋、サブちゃんは、どうだろうか。
微妙なラインだが、キャラ的に軽いと判断し断念。

このような感じでなかなか決め手に欠ける状態が続いていた。

そんな中、また、ぼーっとサザエさんを見ていた。
その時、
「ちょっと、飲んでいこうよ・・・」
あの特徴的な声、これが妙に印象に残った。
そう、穴子さん、
そうだ、穴子さんにしよう、そうしよう!

何故かは全然分からないが、
自分の中に確信的な何かが生まれた瞬間だった。
またもこの時、何かが降りてきたような感じがしていた。

穴子さんに何を言ってもらうか?

デザイン的には、おじさんサポーターイメージで、基本的なホームユニホームを着てもらう事とし、当時売り出されていた必勝ハチマキチケットを頭に巻く、というのは面白い気がした。
飲み屋でかなり酒を吞みすぎて、よい気分になってしまったサラリーマンが【ネクタイを頭に巻く】そんなイメージがサラリーマンにはあったので、穴子さんにはネクタイの代わりに、
この必勝ハチマキを頭に巻いてもらう事にした。

さて、そんな穴子さんに、何を伝えてもらうか。
何か、次に繋がるような、前向きなメッセージとしたい。
そんなイメージで色々と考えた結果、
今日の試合はベストな結果ではなかったかもしれないが、
「それでも私は応援します」と次に繋がるメッセージとして
決して折れない心、精神を示し、
その上でセレッソ大阪に【喝】を入れる事。
その【喝】【勝つ】を暗示させる事とした。
※たぶん誰も気づかないだろうが・・・

そして中島君と花沢さんを見返してみると、
中島君→左向き。花沢さん→右向き。
と意図せずそれぞれの方向性があったので、
残る穴子さんは正面から、伝えてもらう事とした。

アクリル絵の具のリキテックスは、前回までの残りで足りる状態だったので、今回は梅田の画材屋へダッシュせずにすんだ。
しかし、ゲーフラを掲げる時に使う、あの100円均一で買った園芸棒が、何故か、長居周辺の100円均一から姿を消していた。
何故か売り切れたのである。

あんな園芸棒が、売り切れる事などないと思っていたので、正直驚いたが、もしかしたら当時、みんながそれぞれのゲーフラ作成し、使用の為、購入されていた可能性は否定出来ない。。。ような気がする。。。
そんな、こんなはあったが、とうとう穴子さんは完成した。

そして、穴子さんデビューの日がやってくる

残留に向けて勝ち点3ならベストなんだが、
何とかギリギリ勝ち点1ずつでも積んでいきたいセレッソ大阪。
という勝ち点がとにかく欲しい状況の中、
アウェイ:柏へ乗り込み応援しに行った。

試合の記憶はほぼ残っていないが、先制したが追いつかれ1-1の引き分け。最低限の勝ち点1は獲得という中、ゴール裏には罵声を吐くサポもいれば、鼓舞する言葉を叫ぶサポ、まだ落ちたわけではないのに泣くサポ、呆然と微動だにしないサポ、と、みんなリアクションは様々であった。
あまり元気のないセレッソの選手達が
試合後にゴール裏に挨拶に来てくれた時、
穴子さん登場!という感じだった気がする。

何故か、布部のつぶらな瞳で凝視されていたような気がするが、まだ終わりではない、まだ残留出来る可能性はある、
今日は残念だがこれからも応援する、という強い決意と意思表明を穴子さんを掲げる事で表現していた。2001年の降格みたいな事は絶対に繰り返してはいけない、そんな必死な気持ちの表れでもあった。

どうして覚えていたかといえば、確かサッカーダイジェストかサッカーマガジンという雑誌内の試合結果と写真で、選手達の背中越しのゴール裏のサポーター達。みたいな写真があり、この写真の中心に掲げられた穴子さんゲーフラがあって、自分自身もΣ(゚Д゚)ビックリしたという記憶が残っていたからである。

2004年シーズンの終盤、2001年の時のような降格が迫る


さてこの柏戦終了時点であと5試合という状況、次のホーム.浦和戦にアッサリ敗戦し、アウェイ磐田戦に引き分け、アウェイヴェルディ戦も引き分けにて最下位のまま勝ち点を稼げず完全に詰んだと思われたが、ホーム清水戦で何とか勝ち、最終戦アウェイ新潟戦へ、順位が一つ上の柏との勝ち点差は1という首の皮一枚繋がっている状態だった。

その新潟戦の映像は25周年DVDで確認

引き分けでも入れ替え戦、だったような気がするが、絶対勝利が必要なこの新潟戦の試合前は花沢さんを掲げていたのがこの写真のシーン。前半CKから嘉人のヘッドで先制するが、後半になりミスからあっさりエジミウソンに決めらて追いつかれる。
このまま入れ替え戦となるのかと思われた中、嘉人がペナ内侵入からハンドを誘いPKを獲得。
絶対に決めなければならない、
決めなければ入れ替え戦が、、、
降格が、、、と、これほど緊張した場面はないが、
流石、強心臓の嘉人、思いっきりけり込んでゴール。
そのまま1-2で勝利し、同時刻に残留を争っていた柏が引き分けていた為、なんと順位逆転で奇跡の逆転残留が決まるという劇的なシーズン終了となった。
やはり、アウェイ柏戦の穴子さんの登場から、諦めずに、最後の最後で柏を追い抜き、残留を決めるという運命的な何かがあったのかもしれない、そんな劇的なシーズンの終了となった。

さて、そんな激動な2004年シーズンから、今年2023年で20周年となる。
そんな中島君、花沢さん、穴子さん達だが、この20年でザックリ振り返ると、優勝争い、降格、J2回り数年、昇格、史上最強かと思われてまた降格、昇格、ルヴァンカップでの初優勝、天皇杯で優勝、そしてまた残留争いと本当に様々な苦楽を共にしてきた。

晴れの日も、雨の日も、一緒ににやってきた同志みたいなもので、自分自身、
心が折れそうな時に「ちゃんとやれ」と励まされているような、そんな時もあるし、
良く出来た時の自分自身に「GJ」する事もあれば、失敗しても「それでも・・・」と諦めないで再挑戦する事もある。
この20年の月日を経て、
いつの間にかこのゲーフラ達が、自分の人生のバイブルになっていたのだ。

そんなゲーフラ達と歩む2023年シーズン。
そのシーズン最初のキックオフデーにて、ユース出身:藤尾&颯太と一緒に記念撮影写真を撮れた。そして颯太が、このゲーフラ達と同じ2004年生まれという事に気付き、20年という時の流れを感じながらも、これまた運命的なスタートとなったので、今年のユニホームの背番号は38、颯太にて、今シーズンを戦おうと思う。
何とか良い結果が出て欲しいと願うが、たとえ何が起ころうとも、応援していく気持ちに変わりはない。いつまで出来るかは分からないが、これからもゴール裏から出来る限り応援し続けていきたいと思う。

皆々様、今後とも何卒宜しくお願い致します。

で、ワンピースシリーズゲーフラは、どうやったん?
という疑問については、来年2024年が、そのルフィ達の20周年となるので、
もしかしたら今回少し振り返った2004年よりも、かなりの衝撃と激動が起こり、色々とネタはたくさんある2005年シーズンと共に振り返る、、、かもしれません。


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