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言葉が力をもつとき

 これ、売れてるそうですね。湘南ベルマーレのイヤーDVD、「NONSTOP FOOTBALLの真実 第5章 -2018覚悟-」。
Jリーグ公式オンラインストアで注文したときはすんなり買えてすぐ届いたので気づかなかったんだけどなんだかじわじわ話題になっているみたい。DVDが発売された時の紹介映像をネットで見て「これは今年は買うぞ」って思って公式オンラインストアを見たんですけどありがたいことにチームごとのストアでなくJリーグの各チームのグッズも一緒に買える仕様になってた! 私はFC東京のSOCIOメンバーなのでJリーグID登録していろいろ入力したとき自動的に応援チームは東京になったのですが、ベルマーレのDVDと東京のチケットホルダーが一緒に買えました、便利になった! あ、話がずいぶんそれました。

 ベルマーレは私が現在のようにFC東京の応援をするようになる前から見ているチーム。現在の監督さんが現役のころから興味深い選手だと思って見ていたので監督になったと聞いたらそれは応援するしかない、と。
曺監督の著書「指揮官の流儀」「育成主義」は読みました。監督は容赦無く選手を叱り飛ばすときは叱るけど、そのかわり選手をかなり見ている、と思う。選手たちは「自分のことが全部わかっているのかと思う」「見透かされている」という表現をするので「ちゃんとわかっていて厳しいことを言われている」と捉えることができて余計な一言じゃなく役に立つ言葉として飲み込めているのかな、と思います。

 私がベルマーレのリーグ戦の試合を観に行ったのはおそらく2013年の埼玉スタジアムが最初で、その時は曺監督がベルマーレの監督になってから浦和と初対戦するときだったと記憶しています。曺監督は浦和のOBでもあるから当時の浦和のコーチ陣とは現役時代に一緒にピッチに立ってたから、なにやらベンチで嬉しそうにOB同士で顔を合わせる様子をバックスタンドの上の方から観ていました。その時の写真がなぜかデータがあまりみつからなくて…


かろうじてこんなかんじ。他はどこへいったんだろ??

 そのあと、2014年J2で優勝した時にも何故か観に行けてます。なぜか、というのはJ2なんて日本全国いろんな地域に出向いて試合やってるし、ホームゲームの平塚も当時の私の住まいからは軽い旅になってしまう距離なので優勝試合がふらっと行ける範囲であった、ということ自体が相当ラッキー。
このときが私の、初めて味の素スタジアムに行った日 になりました。その数年後にここに通うことになるなんて想像してませんでしたが。

メンバーが既にずいぶん懐かしい。

違うチームに行った選手、このあと日本代表に入った選手、海外に行った選手、一度他のチームに行ってまたベルマーレに戻った選手、色々います。
個人的には遠藤航と丸山祐市に目がいく。遠藤君はこの時ここで観てたのが不思議なような、ベルギーリーグの選手になっちゃったし、丸山選手はこのあとFC東京に戻ってそこからも見てましたから自分にとっては比較的長く断続的に見てた選手。昨年東京から名古屋に移籍したときはかなり寂しかったです。身近に見るチームが変わってもいつもいた選手なのに、ここで道を分かつ時がきたなあ、って。

 余談ですが、この日私は思い知りました。「サッカーを望遠で撮るのは難しい」ということを。撮ろうと思ってカメラ向けてピント合わせてる間に選手もボールも移動して画面には芝生だけ。撮れるのはフリーキックやコーナーキックくらい。選手は止まってくれるから。おかげさまでベンチ前を腕組んで立ってる監督くらいしか撮れてないんだけどまたそれがピントが合ってない。このあとサッカーは何度も見に行ってますが、試合中に写真を撮ることはほぼありません。

 そのあと今の夫と結婚してFC東京の応援をするようになってからは対戦相手としてベルマーレの試合を観に行っていますが、話題のDVDのシーンのある年、2018年はJリーグの東京戦のホームとアウェイ、ルヴァン杯の決勝を観にいくことができた。

 DVDで話題になっているのは秋元選手と梅崎選手が言い合っているところから…だと思うんですが、この出来事はDVDより前に記事としてこういうことがあったというのを文字で目にしていてそれを読んだ感想は「秋元はすごく考えてこの機会をみんながよくなるきっかけにしようと思ってわざわざああいう形で行った」ということ。その映像があるのか!と知って買ったんです。「こういうことを言う人が監督だけじゃなくて選手からも出てきたのって大きいんじゃないか」と思って。
監督は切り取られた場面だけ見るといつも怒ってるイメージなんだけど、言うときは言うし引くときは引いている。容赦無く叱るイメージが強いけれどそういう人の言う「大丈夫」は浸透度が全然違う。エネルギーが言葉にのっかって伝わる度合いが違うなあと、DVD観ながら半泣きになりました。

 ただ意見のぶつけ合いをしただけ、じゃなくてそれがちゃんと形になったことが大きかったのだと思う。
これは見に行かなきゃと思って夫と一緒にいったルヴァン杯の決勝、私にとって二度目の埼スタです。

 結果は1-0でベルマーレが優勝したんだけれど、最後の方はもうみんなベンチの人たちも含めて立ち上がって一斉におなじようなジェスチャーしてた。努力が結実する瞬間て、ほんとにいいなと思いました。こればっかりはうまく言葉にしようがない。

いつもいつも資金繰りが大変とかそんな話を何年もしてて、いい選手がどんどん育つけどどんどん出て行ってしまうっていう話も何年も飽きるほどしてて、それでもずっと応援してきた人たちはどんな気持ちで観てたんだろう。このときこの場で感じとったエネルギーは今の自分には言葉に込めきれない。
「NONSTOP FOOTBALLの真実 第5章 -2018覚悟-」ではこのときのこともとりあげられていますが、年長の選手、若い選手たちが自分の思うこと、ちょっといいにくいようなことも言葉にして建設的な話し合いにひきあげたからこの日を皆で迎えられたのかもしれない。いいにくいことをなんとなくスルーしてしまっていたら、結束がここまで強くはなく喜びもここまで大きくはなかったのかもしれない…あくまで想像ですけれど。

 今の世の中の風潮では、言わなきゃいけないことを言おうとする力は弱くはないけれどそれを感情に任せたり狭い範囲の正義感で押し通してしまったりということが多くみられるせいで逆に言うまいとする力がまた強くなってしまっているようにも感じる。

 誰でも、正しいと思って言ったことが広範囲での正しいではないと知ってトーンダウンしてしまう経験はしていると思うから、本当はそこから、なんですよね。
ならば少しずつ配慮する立場、視野を広くして何度もいろんな立場に立ってみてそれでも相違ない、とできるだけ言えることなのかどうか。上をみればキリがないですけど想定しうるだけの状況や立場から、ここがいちばんみんなが同じように目的を達成できるやり方であると思えることをできるような形にもっていくこと。そのためにどんな言葉を使うのか、どんな切り口にするのか。
そんなことを考えながら少しずつ影響範囲を大きくしていくとそれが数人の集団、家族、チーム、社会…って波及していくものなのでしょう。

 スポーツは同じ目的に向かって人が集まっていることが明白だから、そのために言うべきことは言う、というかたちです。
でもそれは一般社会とは違うわけじゃない。我々アスリートじゃない人間でもこの世界がもっとあとの世代まで続いて心地よい場になるようにできることをするって意味では同じ目的のために生きているんだと思う。

 自分のためだけに楽しく、なんてもう物足りない。どうせなら同じ輝きの笑顔たちの中にずっといたいから、そのためにできることを真剣に考えてもいいんじゃないかと思う。


誰かの心の平穏やきらきらを取り戻すお手伝いがしてみたい。