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あっちがわとこっちがわ


 先日お世話になってる方からたまたま頂いたんです、横須賀の走水神社の砂。ここ、去年友人に連れてってもらったのだけどいまいち車を止める場所がよくわからなくて、夫とドライブがてらまた寄ってみたいと思っているのだけど駐車場ってあるんですか? って聞いてみたら、神社の横にあるわよ、と。

 そんな話を帰宅してからして、いつか行こうって話になっていた。

 夫の誕生日の日、台風やら大雨やらで例年通りにどこか予約しても行けるかあるいは帰れるかわからないね、ということで予定を立てずにおり、当日ふらっと伊豆の方に出かけてみようとなったのですがなんだかずいぶん大渋滞していて一体いつ着けるのかわからないねと話すと、じゃあ走水に行こうと言う夫。

 ああいいね、それなら横須賀美術館のとこでお昼とって徒歩で走水神社に行けばいいね、と。何も考えてなかったけど横須賀美術館にあるレストラン、お誕生日ランチにはちょうどよさそうだ。すんなり決まってうちを出た。

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第三京浜で多摩川渡ります。雲がなんだかおもしろいかんじ。

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この時期はよく彩雲見るんですよ。ありそうだと思ってフロントガラスに顔を近づけて上を向いたらいた!
気象条件的に彩雲がでやすい季節なのかな。

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横浜横須賀道路を馬堀海岸のところまで…と走っていると、あれ、なんかすごくいつもより空気がきれいな気がするな。

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横須賀美術館の前から富津方向を見てますけど、こんなにくっきり見えたっけ?

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この日たまたま望遠レンズつけてたんですよ。功を奏したかんじ。

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大雨の次の日で、空気がきれいなのかもしれない。
房総半島がいろいろ大変だった日です。神奈川側にいるとわからないんだけど。

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富津岬のモニュメントは見えるのかと思うと、やっぱり見えた。

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↑あの三角っぽい不思議な形のやつです。展望台になってるんですよね。

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向こうの白い塔みたいなのはなんだと思ったら、東京湾観音が見えてた。

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さて、ごはんも食べたし腹ごなしに走水神社まで歩きました。見晴らし良いから楽しいところ。

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 近くの防衛大の方達かな? 演習みたいなことやってた。とにかく声がするので気づいたんですけど。

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 走水神社には弟橘姫が祀られていて、「日本武尊が房総の方に渡るために荒海を弟橘姫が鎮めた」っていう伝説のある場所であり、海の向こう側の房総にも日本武尊と弟橘姫の伝説がもちろん存在するんですけれど(地名にもある木更津・君津などは日本武尊が詠んだとされる句の一節の「きみさらづ」という言葉が語源だ、という説) もしかしたら弟橘姫が海を鎮めた時の空ってこんなかんじだったのかなあとぼんやり考えてみたり。

 凪いで視界がよければ確かに向こう岸がだいぶ近くに感じるから、渡れそうかもしれないなあ、なんてね。

 弟橘姫にあやかって女子力アップのご利益が、なんて聞いたことありますけど、旦那さんのために海に自分が入って荒海を止めて、そのあいだにおゆきなさいって言う奥さんって、女子力ってあやふやな感じよりももっと強い人ですよね。覚悟ができてるっていうの? その強さの方があやかりたいかも。

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横浜方面もすごくよく見えた。

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夕方はなんだか幻想的な富士山が見えました。

で。

なぜか一週間後も横須賀に向かう我が夫婦。

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先週ほどは見えない、気がする。

 走水に行った時、夫が地図を見て「ここも良さそうだね」と言ったのです。浦賀にある叶神社。

 こちらは浦賀駅の近く、海があってドックになってるところを挟んで西岸と東岸に一つずつある、対になってる神社だそうで。
両方訪れると願いが叶うとかなんとか…。

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 まず叶神社(西側)に行ってみた。ソテツが立派。なんか子供の頃からのイメージなんだけど、こういう感じのソテツって動物みたいだなって。

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おや、かわいい子が覗いていましたよ。

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こっちは東叶神社のソテツ。なんだかご利益どうのこうのっていうことより、これを見る甲斐があったな、って気がした。

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両方行ってみて思ったことですが、願いごとって、基本的に順境だけで叶うものでもないじゃない。逆境だったり相反する要素のことを乗り越えた先だったり、なにかを成立させるためには反対側って概念が結構重要で。

 人の世と神の世もそういう関係なのかなって。
神が人を引っぱるというのとも違って、人と神がそれぞれの立場で相談しながら世界をつくってまわしているのであって。どっちかにこの星の正解があるわけでもなく、ただ両者の対話によって出来てるのが今の形であるってだけで。人はいろんな方法で神と対話していると思うので(なにもオカルト的な話じゃなく、仕事しながらだったり何かに向き合ったときにいつも神はそこにいて対話している、というふうに考えている)それがスムーズにできてれば願いが叶うってことなのかもしれないし。

 人の世でやりにくいことは神の世で、神の世の方法だけで人に伝わりづらいようなことは人の手で、そういう役割分担だと思います。人の世と神の世のそれぞれ得意分野の間にある「つなぎ」になるものって結構キーになるんじゃないかなと。そのことに関しては想像力っていうのは結構バカにならない要素だと思うんですよね。たぶんそれは、自分のまわりだけを見ていても物事がうまくいかないのと同じで、ちょっと発想の転換や視点の転換をすると次第に見えてくるものがあるように思う。

 人の世と神の世がなにか同じことで一緒に「これはよかったよねー」って言えるような世の中になっていったら、そういう時間の連続の中にこの星が生きてたら、みんな幸せなのかなー。

 人が幸せになるには、人の世の要素だけでも限界があるし神の世の要素だけでも限界があると思う。神はいつもみんなの気にいりそうなものを用意して提示してくれたりしてるんだけど、それが人の意識の中で気に入らなければスルーしちゃうでしょう、それは神がわざわざ届けてくれたチャンスだったとしても。そういうのって到底人の世の計算式だけでは成立しないようなルートでも神の世の計算式なら到達できるよってことであっても、人は人の世の計算式しかあてはめないからそうなっちゃうんだと思う。意思の疎通には頭を一捻りほどいるのかも。

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…木瓜が咲いてました。寒木瓜というやつかな。

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横須賀ってなんだかいつもほっとする風が吹いてる気がするから好き。
なにかいらいらしたり落ち込んだ気分のときはまた行ってみよう。



誰かの心の平穏やきらきらを取り戻すお手伝いがしてみたい。