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ひまわりの庭 1

「文藝MAGAZINE文戯7 2019 Summer」に掲載の作品です。
「記念日」のお題で続編を現在準備中です。

ひまわりの庭 1


世界から音が消えた。いきなり耳が聞こえなくなったのだ。

母の葬儀の後、実家の片付けも一段落して、押しかけ同居人の義人と 穏やかに過ごしだしたその後、仕事に戻った一カ月後のことだ。

「やっぱりストレスとかじゃないかなぁ。のりちゃん」
紹介された総合病院での検査結果を眺めながら、幼い頃から馴染の医者は言った。
「お母さん亡くなって どっかで無理してないかな?」

 診断の時の様子や医者の言葉などを家に帰って話すと、翌日義人は慌てて点字の本や癒し系の音楽の入ったCDを買いこんで来た。そして「こんなもの買ってきちゃったぜぇ」と自慢げに披露し始めるまで 自分のトンデモナイ間違いに気がつかなかったのだった。義人の相変わらずのトンチンカンさには笑えたけれど、その慌て方を見ていると自分で思っているより、事態は深刻なのかもしれないと、それはそれで 少し落ち込んだ。

 職場近くのワンルームを引き払って 主のいなくなったこの家に戻って住むことにした。通勤には時間が掛かるようになったがさほど負担には感じない。幼い頃父を亡くし、母の実家であるこの家に住み始めた頃はなかなか馴染めず、祖母を心配させてばかりいたけれど、今こうして帰ってみると 古いこの家にある何もかもに母との思い出や祖母の温もりを感じて 落ち着く。

 問題は私が職場復帰した途端 今度は上司が行方をくらましたことだ。噂では個人的な借金問題だとからしいけれど、本当のところは誰も知らない。ひっきりなしに問い合わせや取引先からの苦言の電話が掛かり、対応し続けて 休む暇もない。 耳が聞こえなくなるなんて 自分にこんな逃避ワザがあるとは思わなかった。けれど「体調不良」に逃げたからって事態は全然 楽になんかならないものだ。まずは職場の他の皆に 事情を伝え、メールとFAX対応の仕事をさせて貰うことにした。

「ほら のりさん、こんなに芽が出たよ」
義人がこっちを向いて 口をぱくぱくしている。つば広の麦わら帽まで買ってきて 首にタオルを巻いた姿が案外似合っている。最近はだんだん義人の手振りや表情で何が言いたいか解るようになってきた。というか、義人の言いそうなことなんて もともと予測はつくのだ。

 義人に初めて声を掛けられた時を思い出す。

「『自分は閉じてます』ってアピールしてる感じがするなぁ」
お気に入りのバーガーショップの窓向きの一人席。 同じビル内に勤める顔みしり程度の関係だったのに、その日 彼は迷う風もなくすぐ隣に座って、いきなりそう呟いた。自分に話しかけているとも思えず黙ってコーヒーを啜っていると 今度ははっきりこちらを向いて彼は言った。
「ハグとかって、どうなんだろうな…」
いきなり何を言い出すんだコイツ。
唐突な質問に、ポテトの欠片が開いた口から転がり出そうになった。

「自然体でそういうことできたら、何かが変わるかもしれないとか思わない?」
さっきの「閉じている」発言から続けて、驚いたらいいんだか、怒ったらいいんだかよく解らない。
すぐに素直な感情を出す前に固まってしまう。自分で自分の「素直な気持ち」っていうのが解らない。確かに我ながらやっかいな性格だとは思う。咄嗟のことにうろたえたのが見てとれたのか、義人は愉快そうに目を細めて私の顔を見、聞きもしないのに最近観たDVDについて語り出した。
「文化の違いについて考えていたところなんだなぁ。実は」
 その映画は、クリスマスやバレンタイン頃によくあるハートウォーミング系のオムニバスドラマだ。

「『恋人同士』じゃない男女のハグっていうのがね、」
そういうのが成り立つ「西洋文化」っていうのについて 彼なりに考察したという。
「日本人じゃ、なかなかああはいかないよなぁ、と思ってさ」
案外面白い人なのかもしれない。くるくる変化する表情と よく動く唇を眺めながら思う。
「で、思ったわけ」
義人は息をつき、カップから氷が融けて薄まったアイスコーヒーの残りをすする。ズズズッという遠慮のないその音を聞いて いきなり現実に引き戻された気がした。
「もしあなたが『閉じている』なんて言われるのに今、ムカっときたんならさ、そんな自分のカラを破りたいと思っているとしたら」
人懐っこそうな目でじっと見つめられて困惑する。何なんだ、いったい。
「僕とハグ……」

その軽そうな頭をバコンと叩きたい。でも、それもできなくて 黙って席を立った。

「ハグ攻撃でやっと相手がさ、気持ち開いてくれた」
とろけそうな笑顔で急に話し出す義人の顔を見て、またハグの話か、そう思った。誰か他にも同じ手で迫ったわけだ。ふうん、と思った。

 最初に話した日から 何度も会っていたけれど、女性の話は聞いたこともなかったし、誰かほかの女の人と一緒にいるのを見たこともなかった。懲りもせずまた同じバーガーショップで 懲りもせず義人は隣に座る。嫌なら自分が別の店に行けばいいんだとは解っていたが、それだけの理由でお気に入りの店に行くのをやめるっていうのも大人げない気がした。意地もあった。自覚はなかったけれど少しだけ 義人への興味もあったのだ、と今では思う。

「本当は人恋しいくせに近づこうとしない、そんな子でさ」
「…そうですか」
「のりさんと ちょっと似てる」
「そんなことで私と似てるなんて言われても」
……別に嬉しくないんですけど。
いつの間にか 名前で呼ばれていることに気づく。

「ハグさせてもらうまで長いこと掛かったけどさ、いやぁ、今ではもうお互い離れられない存在って感じで」
「ふうん。それは良かったですね」
不機嫌そうに聞こえないように注意して答える。
「最近なんかあっちから寄って来てさ、喉なんかゴロゴロいわせて目細めちゃって」
「?」
「ニワって名前付けた、猫、好き?」

 それは彼の住むハイツの庭に来る、のらねこの話で、日にちを掛け少しずつ近づいてスキンシップを増やし、やっと「ハグを許してくれる仲」にまでなったのだそうだ。映画の話といい猫の話といい、目をキラキラさせながら嬉しそうに語り続ける彼の様子に、悔しいけれど思わず次の言葉を期待して待つ自分がいた。ハグできる仲になった相手が猫だったと解ったその時の、自分の力の抜け方が可笑しかった。

 お昼時、色々な店のテーブル席に向かい合って座るようになり、それぞれの観た映画が少しずつ重なった。ニワの来る義人の部屋で一緒に観たDVDが増えていった。選ぶ映画も感想も、色々違うけれど 何だかちょっとズレている義人の視点はいつも面白いと思う。

いきなりの義人からのハグはやっぱり あり得なくて、冗談でごまかした。

**

 押し入れを整理していたら色々な古いものが出てきて ついつい眺めてしまう。幼稚園のお絵かき帳、小学校の時の賞状。私が放置していたものを母は丁寧にまとめて大事にとってくれていた。その中に小学校の成績表や連絡帳や作文も入っていた。どの先生の書くメッセージもいつもほとんど同じだ。

──恥ずかしがらずにどんどん自分の意見を言えるようになりましょう
──もっと大きな声でたくさんお話しできるようになろうね。
──もっと積極的にお友達に声をかけましょう。
──みんなと楽しそうに笑っているのりちゃんが見たいです。
 横から義人が覗き込む。自分の性格は解っているけれど、変わらない評価にだんだん気持ちが沈んで来た。見なきゃよかった、そんな気がしてノートを閉じる。

「でもさ、それってアレだな、うん」
閉じたノートの表紙を眺め、短い沈黙の後、義人がゆっくりとこちらを向いて言った。
「クラスでさ、みんながみんな積極的で社交的ってのはさ、先生にしたって案外、ややこしいもんだと思うなぁ」
猫の「ニワ」がいつの間にか現れて縁側にストンと飛び乗ってきた。義人の足の指を目を細めて舐める。
「先生がそれを目指していたとしたら それは大きな間違いだ」
ニワのつややかな黒い毛を撫でながら、義人は続けて言う。
「のりさんがのりさんで良かった。まあ、そういうことだ、なぁニワ」
話しかけられたニワはナォーンと甘えた声を出し義人の膝に上り、気を良くした義人はニワを更に抱き上げ抱きしめて、頬を寄せた。

***

 母が亡くなってひとりで帰るつもりだった実家に 今、義人とニワがいる。

大好きなひとに自分から積極的にハグできるようになったら 自分も少しは変わるのかな。それともやっぱり変わらなくてもいいのかな。そんなことを思いながら 庭づくりに夢中な義人の背中を眺めている。
それにしても なんで急に「ひまわりの庭」なんだろう。きっと義人のことだ、私の耳が治るまで何か頑張れば、いいことが起きるくらいに考えているのだろう。そして咲きそろったひまわりが私を勇気づける、とかね。

──庭いっぱいにひまわり植える。のりさんいいでしょ?
 義人が急に言いだしたことだ。相変わらず義人の発想はぶっ飛んだところがあって予測不能だ。もともと大して広くもない、生垣で囲われた昔ながらのごく普通の庭だ。玄関先から物干しスペースや物置の脇の通路までも義人は花用の土を加えて均し、長細い縞柄の種を一つずつまき始めたのだった。

ひまわりが嫌いという訳じゃない。でも咲き終わった後、 項垂れ干からびたひまわりが庭いっぱいに並んでいるのってどうなんだろう、と思ってしまう。さほど興味を示さないでいると、義人はとても残念そうな顔をする。とても解りやすい。
「いっぱいに咲いたら、名所になって、みんなが見にくるよ」
にこにこしながら さも良いことのように義人は言っている。良く解らないという顔で義人の顔を見たら、足で地面に「名所」と書き、首を伸ばしたり指をさしたり目を輝かせてみたりして「生垣からひまわりを眺めて感動するヒト」のジェスチャーをしてみせた。
──いや、 知らない人にうちを見に来て欲しいなんて思わないけど。
浮かない顔をすると 義人は、ちゃんとこっちを見て、と合図を送る。今度は遠くを指さし、向こうから順に種を蒔くそぶりを見せた。どこからかずっとうちまで続くよう、ひまわりの種を蒔いてきたらしい。

 義人の言うことは手振り身振りで十分伝わる。得意げな顔で義人が伝えるにはどうやら(彼の壮大な計画によると)ここはひまわりロードの終着点らしい。ささやかな私の家は義人の努力で 夏には観光地になる、ということのようだ。一体何のためにそこまでやるんだか。義人の勘違いと思いこみは底知れない。

そして 義人の思いやりというヤツも私の中に少しずつ 少しずつ 沁みて来ては、いる。

  ひまわりの庭 1(了)


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