未次元vol,21:自意識過剰/自己肯定感
うむー、夏休みに入りました🌻
私、夏大好き。海大好きだし、夏生まれだし、植物綺麗だし。
毎日休みなので好きなことに時間が使える。けど割と、やらなくちゃいけない事と、休む時のバランスを自分で調整しないといけないのがムズイ。バランスを探しているこの頃です。
今日は本当に書くことがない。今週したことといえば、友達の作品と私の尊敬している崎山蒼志さんの作品に批評を書いた事と、餃子作ったくらいだ。あとは詩集の編纂を進めつつ、挿絵を描いたり、、、
結構やれることはやっているのだけど、ノートを書くときは自己変革で思ったこと、悩んだことがあった時が多いから、あんまし今週は書くことがない。批評でかなり書けたから、書くことがないというのもある。
おすすめ映画でも書いておくか。
友人について行って見た『Past Lives』がここ最近では1番良かった。24制作の映画なので、外すことはないだろうくらいでついて行ったのだが、これは凄まじくよい。
幼馴染で好き同士だった二人が、運命の都合で離れてしまい、お互いを思いつつも別々の道を歩むというのが、筋の恋愛映画なのだが、この映画のミソは「一緒になれなった他者との出会いはどういう意味を持っていたか」をすごーーく美しく描いている点だ。
別離は、恋愛の破局以外でも死別やらなんやらで沢山出会う出来事で、それをこのように解釈できた時、ものすごく勇気がもらえるよなと思った。何回でも見たい映画だ。おすすめです。
今ふと思い出したのは、ヨシタケシンスケの「もしもの話」っていう絵本もおんなじような雰囲気だった。これを読むと毎回エヴァを思い出すんだけど、なんでかわからない。人類保管計画がぱっと頭を掠める?のかな、、、。
こうやって作品についてあーだ、こーだ考えるのは楽しいし、一生こうやって生きていきたい。
まだ私には文学的に出来ないこと、やれないこと、知らない事が沢山あって、その溝を飛び越えるように頑張ることが、私の生きる糧だ、と思っている。これはだいぶ自身のアイデンティティが文学の要素に偏っていて、生きる自信がないことの反映がする。
人生もちゃんとやれている人をみると、尊敬と劣等感でだいぶきてしまう、、、。自分は何も出来ないなあ、とか、、、これは自己肯定感の低さからくる不安。
そういえば、自己肯定感が低くなる原因は、自分が持つ加害性への自覚なのではないかと、最近考えていた。
これはバキ童が自意識過剰について弁護する動画を見て、考えていたことなんだけど、自意識過剰っていう時その人が過剰に自己を意識しすぎているって揶揄するニュアンスがある。
そんなに気にしなくていいよ!や、気にしすぎ、、、みたいな励ましと批判の二つのニュアンス。
『聲のかたち』っていう漫画が大好きなのだが、主人公は、自分の加害性に気付いた時ものすごく内向的に、自意識過剰に変わる。だから、自分は穢れた存在なのかもしれない、や、自分はいてもいい人間じゃないって思った時に過剰に自己のことを考えてしまうのかなと、おもった。ここにおいて自己肯定感の低さも生まれる。
世代的になのか、みんな違ってみんないいや、私とあなたは別の人間で別の意思を持っているし、わかり会えないこともそりゃあるだろう、が割に普通の事として育ってるなあと思う。小1の時読まされる詩とか、金子みすずじゃなかったですか?
だから、君もいいし私もいいよね!で、解決出来ない、生きづらさが残る。
本当に個人的な、この生きづらさ。加害性もあり、自己否定的なこの私をどう引き受ければいいのか、詰まるところどう生きればいいのかという問いが頭をもたげる。やはり、そういう穢れた私ですらも、抱えて生きるしかないのだろうな。自己肯定の上の他者肯定をしたい。
身につけられるよう頑張りたい、夏だぜ!
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