宮沢薺

思いついたことを徒然に綴っていきます

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最近の記事

未次元vol.7

外部が内部にすり替わる  藤子F不二雄ミュージアムに行ってきた。 通学中、西武池袋線に乗っていると豊島区にトキワ壮ミュージアムがあるので、広告が流れてくる。ドラえもんラッピング電車も、たしか、走っている。(ハリポタも、ムーミンも走っているから混ざって、正直判然としていない) だからてっきり、西武池袋線沿いにあるんだと勘違いしていて、大学に通っている間に一度は行こうと決め、訪れる日を楽しみにしていた。それを母親に話すと、「いや、神奈川にあるから、行けないよ」と冷静に言われた。

    • 『未次元』vol.6

      「いい子」は残酷 このノートには、基本的に誰も見ないだろうと思っているから好きなことを書き散らしている。 私は承認欲求の権化なので、普通にすごいと思われたいし、言われたい、そういう自分になりたい。自分が全然好きじゃないから、自分のままじゃだめだと思ってるから。元は、単純に文章が書きたかった。芸術に感動した。そういう理由で始めたのに、20歳を超えてどんどんと、社会に進出していかなければならない年齢になって私がやっていることは、評価されるんだろうか、ちゃんと前進できているんだろ

      • 未次元vol.5

        ひとつの倫理 私が好きな詩の一つに吉本隆明の「涙が涸れる」が、ある。  私はこの詩、この言葉が持っている強さがとても好きだ。吉本は「ぼくら」が「泣かない」のは「もう世界が美しくはなくなったから」だという。  私たちは世界に裏切られたこと、もしくは、癒えない傷を持っているからこそ、泣くことによって言葉を使う。言葉を使うというのは、つまり、言わないと伝わらないから生まれた、という事で、逆説的に、使えば使うほど私たちは引き剥がされているのだというどうしようもない痛みを、気づか

        • 『未次元』vol,4

          言葉を必要とする学校が始まった。 新学期は毎度思うことだけど、自分の許容できる範囲以上の人がいきなり、自身の内側に入ってくるようになるので、びっくりするし、社会と自分の内枠を調整するのに苦労します。 時々締めすぎて、変なことを言ってしまったりする。 開けすぎてもダメだと思うけど、締めすぎてもダメだと思うから、上手い具合を探していきたい。(同じ時期に同じようなことでつまづいているような気がするなあ) 今週、お世話になってる詩の先生のゼミに行ったら、ある生徒が「なんで詩は、わざ

        未次元vol.7

          『未次元』vol.3

          彷徨い 1月頭から2月半にかけて、村上春樹の評論を、書いていた。 授業で提出する用のレポートの延長線上だったので、そこまで本格的に書く必要は別になかった。けれど、「綺麗な子供」を書き終えた後の半年間で、感じていたこと、考えていたこと、影響を受けたことを保存しておきたくて、ちょうどいいし、本気で書いた。 かなり準備して苦労して書き上げたから、それなりに読み応えのあるものにはなった。殻を破る事を目標に、コツコツと書いていた。 だけどかけた労力の割に、感触は、あまり良くなかった

          『未次元』vol.3

          『未次元』vol.2

          無責任か、思いやり 大学生になって、20代になって、自分の活動の幅が広がるようになってから、責任を持った行動をしなくてはならない場面が増えた。参加してくれてる方に感謝をする。逆に謝罪する。せめて喋るのが苦手な代わりに、せめて挨拶だけには気をつけるようになったり、言葉遣いを直したり、当たり前なことかもしれないが、クラスメイト全員名前覚えてなかった高校時代のわたしからすると、だいぶ社会性が身についてきた気がする。 そういう、「社会」や「世界」と呼ばれているものと接するようになっ

          『未次元』vol.2

          『未次元』vol.1

          エッセイというか、雑文を今日から毎週土曜にあげていきたいと思います。 土曜なのはオードリーのオールナイトニッポンがあるから。忘れないし、お二人もラジオやってる日なら、わたしも頑張ろうって、思えるので。 ではまず、始まりらしく、理由から。 雑文をどうしてあげようと思ったかと言いますと、最近少ないながらも、自分の書く物に感想を下さる方が増えてきたというのが関係しています。 感想の中で印象的だったのは 「普段の印象と、全然違う。何考えてるか知りたくなった」という物です。 確

          『未次元』vol.1

          生まれてしまった自我  —崎山蒼志「ソフト」について— (3/3)

          第三章 完全な球体と不完全な球体 「セピア」とは、イカ墨を原料としたインクで、モノクロよりも僅かに赤茶がかった色身をしている。「色」は、目の色を変える等と言うように、感情を比喩する慣用句として多く使われ、崎山の楽曲でも、感情を比喩する用語として「色」は使われている。二〇一八年一〇月に発表されている「独赤」では、「色彩がありすぎるこの日々を それでも愛していたい」と、様々な感情が溢れる日々を愛したいという意味で使われた。 感情とは、対象と対象の間に起こる揺らぎの事である。恋愛

          生まれてしまった自我  —崎山蒼志「ソフト」について— (3/3)

          生まれてしまった自我  —崎山蒼志「ソフト」について—  (2/3)

          第二章 生物的部分の喪失と、大衆の弱さ 世界との一体感をなくし、喪失感を抱えた崎山は「公園」の隅で「キャッチボール」し、再び他者と一体になることを渇望する。「公園」は公的に仕切られた空間であると言える。木々を伐採し、土地を切り開き、遊具や立看板を設置した「公園」は、綺麗に区画整備された人工物である。それは、コンクリートの建造物に囲まれる都市の風景や法律に規制された社会構造を暗示させ、「肉体と精神」が分化し、生物の枠から外れた人間の象徴でもある。  しかし一方で、「公園」は子

          生まれてしまった自我  —崎山蒼志「ソフト」について—  (2/3)

          生まれてしまった自我  — 崎山蒼志「ソフト」について— (1/3)

          序 崎山蒼志は、二〇〇二年生まれ、静岡県浜松市出身のミュージシャンである。彼は二〇一四年、十二歳という若年から作曲を始め、自身の成長や感情の変化に沿うように、二〇二三年(執筆当時)に至るまで、多くの楽曲を発表してきた。 作曲を本格的に始めてからの三年間は、ラジオ出演やライブ活動など、地元静岡を中心に積極的な活動を行っていたものの、崎山の世間的な知名度は低かったといえる。転機となったのは、崎山が中学三年生だった二〇一八年五月、インターネット番組「日村がゆく」フォークソンググラ

          生まれてしまった自我  — 崎山蒼志「ソフト」について— (1/3)

          日々の余分雑記

           ストレスがどれだけたまってても、迷惑なので、深夜には歌ってはいけない。動揺すると変なことをしてしまい、ルールを破ってしまい怒られる。私は卑怯で臆病なので、怒られないようにすぐ嘘をつくけれども、そういうことは社会で信頼をなくすのでしてはいけない。  できなくても続けている方がいい。どうせすぐ動揺するし、社会生はないので、まだ、習慣化した方がいい。長く続けるだけで評価されたり、助けてくれう人がいる。なので、飽き性の戯言は信じない方がいい。だからバイトは多分続けた方がいい。でもバ

          日々の余分雑記

          阻害する世界、阻害する私

           わたしは、世界から阻害されているという感覚が割とあるのだけど、同じように阻害された圧倒的な他者がくれた肯定によって私は逆説的に生きれている。そのおかげで、最近、世界の方が間違っていると言えるんじゃないかと感じた。  あと、私が過去の傷や痛み、死や悲しかった事を平然と詩えるのは、多分、生の実感がないからで、でも詩う事で、紛れもなくそれらは存在していて、逆説的に生の実感を手に入れているのだと思う。  生きたいとかはないけれど、これによって義務的に生きれているし、私は阻害され

          阻害する世界、阻害する私

          2023/11/17

           ここ最近、一日中夢の中にいるような、薄ぼんやりした無感覚の中で、息を潜めるような毎日を過ごしている。白濁とした視界から世界を眺めていて、何を話しても楽しくないし、起きているのか寝ているのか、よく分からないまま時間が溶けて、一日が終わっていく。  今、アジカンの「転がる岩、君に朝が降る」を聴いている。ある人がこの曲を好きだと知って、久しぶりに、壊れてCDをかけられないCDプレイヤーで流して、部屋で一人で聴いている。何もせず、フローリングの床の皺を数えながら、音楽を無闇に聞く

          2023/11/17

          旅をする木

          友達のインスタグラムから星野道夫「悠久の時を旅する」という写真展が開催されている事を知った。星野道夫さんはアラスカや北海道など寒い国を中心に世界を旅をした写真家だ。また文筆家としても知られ、瑞々しい言葉で書かれるアラスカの風景や、彼の柔らかな視点で捉えられる世界のあり方は読み手を魅了する。  写真展の開催を知ると少しの郷愁が胸に立ち上がり、私はある人の事を思い出した。私は特別写真に詳しいわけではないけれど、星野道夫さんの著書である「旅をする木」には思い入れがある。初めてその

          旅をする木

          思いを表す声

          私は原作者しか持たない声が好きです これじゃあまりにも伝わらないと思うので幾つか例を挙げますと 新海誠さんがアフレコしている「ほしのこえ」とか ヨルシカの作詞作曲やっているn-bunaさんがたまにやる弾き語りLiveとか アスヨゾラ紹介班を作ったorengestarさんがTwitterでたまにあげる(これまた)弾き語りとか 大好き。 こちらの方々に共通しているのは、特段声がいいとか、歌唱力や完璧な演技力があるというわけではないという事。 息継ぎがしっかり聞こえたり、声が

          思いを表す声

          薄いビニール一枚分みたいな膜

          好きな人と一緒にいる時に感じるのは 安らぎや嬉しさや楽しさ それとどうしようもない孤独 どう足掻いても「一緒」にはなれないし 私は私として、一人でいるしかないという事 君が言った 「薄いビニール一枚分みたいな膜」

          薄いビニール一枚分みたいな膜