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好きすぎて聴けない歌がある

 私には好きすぎて聴けない歌がある。

 私は好きすぎて〇〇できない、ということがよくある人間だ。好きすぎて使えない、好きすぎて読めない、見れない、食べられない。
 なぜできないかというと、終わってしまうからである。
 先ほどまで自分の胸を打っていたものを消費してしまうことによる悲しさ。それが怖いから、できない。実際私には読みきれていない本がいくつかある。読み終わったら続きを読みたくても読めないという漠然とした悲しみに襲われるからだ。ドラマ等も同様に。途中離脱という悪い癖がついてしまった。
 『まだ楽しみなことが私には残っている』という事実が好きだ。楽しみが手のひらにある状態が好きだ。安心する。幸せを持って過ごせる。

 音楽は無くならない。何度も繰り返し楽しむことができるし、形はなくても永遠に残り続けるものだと、思う。
 しかし、私はある歌を聴くことができない。好きだからだ。好きなんて飛び越えて途方もない感情が乗っかってしまっている。だから聴けない。

 匂いとか、味とか、そういうものと音楽は同質だ。街中でふと嗅いだ香りで、ずっと前の記憶が蘇ることがある。部活動を終えた後の帰り道の匂い。図書館の独特な空気。昔気になってた人の柔軟剤の香りに似た香りを纏う人に出会った時も、過去の恥ずかしすぎる己の一挙手一投足をそれはもうぶわっと思い出す。気持ち悪いことを言った気がする。
 
 匂いが記憶に結びつくように、音楽も記憶に深く繋がっている。
 当時ハマっていたアーティストの曲を聴くとその時間にあった色々なことを思い出す。そしてふと聴き直すたびに「過去の自分、センス神じゃん!」と鼻息を荒くする。

 私が聴けない歌は、一度活動を休止することを決めたアーティストがファンに贈ったあたたかい歌だ。
 寄り添ってくれる歌。いつまでも隣にいて、永遠に続くことを高らかに、大切に歌う歌。
 無くならない、終わらない歌。最初から最後まで特大感情がパンッパンに詰まっている歌である。

 巨大な気持ちに押しつぶされそうになるから聴けなかった、が。最近、聴く機会があった。

 そのアーティストを特集したラジオ番組があった。偶々他のファンの方がリアルタイムで聴かれていることを知り、偶々時間があったので聴いた。
 結果、その数十分、私はとても大きな感動を味わった。鳥肌が止まらなかった。泣いてしまった。
 DJが構成したプレイリストは、ファンの気持ちを汲み取りまくった究極に変態で恐ろしい組み合わせだった。『ワカッテル』プレイリストだった。歌詞の繋ぎから締めの三曲のオチの良さ等100000000点満点だった。

 その中に、かの歌が含まれていた。聴いていて苦しかった。苦しくて、楽しくて、幸せだった。

 きっと、また当分聴かないと思う。聴く勇気がない。

 宝箱に丁寧に閉じ込めて、またいつか。それまで奥の奥に閉まっておく。
 私には好きすぎて聴けない歌がある。
 大切で、苦しくて、幸せ。それが私の好きすぎて聴けない歌だ。

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