終わっちゃった……。『ジェリーフィッシュは凍らない(市川憂人)』感想
「プロローグ」と書かれている始まりの章は、ミステリー小説でよく目にするけれど、それはきっと不可欠な要素なのだろうなあ、と思っていました。そこには犯人の独白や、犯行直前、現場、直後などの描写がある。
いったいぜんたい、ミステリーにおける序章とは、どのような意味を持っているのだろう。読了後に考えてみよう、そう思って読み始めました。
英語で海月を意味する表題の単語は、きれいな語感なので好きです。表紙の上部に浮かんだちいさな飛行体、すなわち小型気嚢式浮遊艇ジェリーフィッシュで航行試験を行う乗組員の立場から、この物語は始まります。
恥ずかしながら、私は推理小説を数えるほどしか読んでいません。
ですが、読み進めながら「事件」を今か今かと待ち望み、どこか含みのある文章を「これは何の伏線だ」と考えているときの脳内の思考活動は、とても独特で面白いと感じています。
重箱の隅をつつく、とは違う。
揚げ足を取る、のでもない。
「待ちわびながら探し進んでいく」感覚とでも言いましょうか。
まず素敵だなと思ったのは、登場人物の視点からの描写が正確かつ綺麗、整っている、ということです。そして、熱がない。
ジェリーフィッシュの歴史がどのように始まり、現在に至るまでどのような変遷があったのか、探偵役マリアの部下レンの解説が入りますが、彼の冷徹な性格もあってか、文章に情がなくて読みやすいのです。
私は、この文体がとても好ましいように思いました。
また、各エピソードがかなり細かく区切れており、上空であるジェリーフィッシュ内部での物語と、犯人の独白と、地上での推理の場面が交互に出てくるのですが、その点で余計に焦らされる! 先を読み進めたくなる! でも化学の話は難しい!! というジレンマに追われ続けていました。
実在の物質を使って、今の現代には存在しない物質を生成し、それによって飛行船の小型化を可能にしたという解説部分は、化学式が出てこなかっただけ幸いです。申し訳ないです。話の筋としては理解をしました。申し訳ないです(何回も謝りたい)。
がんばって読み進めるうち、時折、描写がものすごく光っているところがあることに気づきました。
あざやかに切り裂くような清冽さだな……すごいな……茫然としてしまいました。文章に光が見えました。これは個人の好みなので、何とも言えませんが、私は以下の描写が好きです。
剥き出しになった数本のわずかな骨組だけが、弧を描きながら鈍色の空へ喰らいついていた。
専門用語や記号だらけの文書の山から必要なものだけを選び出すなど、火星語の書類の束から金星語の書類を選び出すのに等しかった。
前後の文脈を入れずに描写だけを引用しても意味がないのだけれど、これがこの作家の「言語感覚」なのだろうか、不思議なテンションだけど光っている、と思いました。
作家特有の言語感覚の傾向というものは、私がいま求めてやまないものなので、余計にそう感じたのかも知れません。
先にも述べましたが、章の区分けが細かいうえ、複数の主観による短編の連なりは読みやすいけれど、散らかりやすいのではないか……と思って読み進めてきました。
読者を飽きさせず、置いてきぼりになるのを防ぎ、どこで引きつけるのか。
そして中盤から後半に差し掛かると、突如として文章に熱が入り、読む側も話にのみ込まれて行きます。これはつまり私が話の流れをある程度理解し始めてきたからなのか、と最初は思いましたが、よく考えてみるとそれだけではありませんでした。
中盤に至るまで漠然とした推測でしかなかった「推理」が、事件の真相を掴み始め、そのきざしを読者が手に入れる瞬間が、話に引き込まれる大きな要素となっている。
先も見えない暗中から解決へと導かれる光の道筋、そこに引きつけられてからは、あっという間でした。
ううむ、どうやら。
私が「難しい」と思った時点で、読む速度は体感的にも遅くなったようです。たとえ化学の知識のない人(ここではマリア)用に分かりやすくした解説であっても……三幕構成のこの物語のうち、「序」の解説部分は、私にとって重かった、ということでしょう。
しかしこのエピソードと設定の量、詳細に解説すればするほど冗長となり、短ければシナリオの綻びとなってしまいます。ここがギリギリ、というところで止めて、そこから終盤まで一気にたたみかけた気がします。すごい。
読了後、茫然と天井を見上げて「終わっちゃった……」と呟きました。
終わっちゃったよ……。
読者が「待ちわびて探し進んでいく」のは、小説の最後には「終わり」がある、すなわち事件の「真相」が判明すると、ほぼ確信しているからです。どんな作品であっても、終わりがあります。末尾に「続く」と書かれていない限り。
そして「真相」は、今まで深く浅く隠されていたものをも明るみに出し、読者を驚かせます。
ミステリーの歴史は長く、多様で、語りつくされているかのように思えるのに。新たに脳を震わせる斬新な手法、あざやかに解明される謎、それによって完成する物語への感慨……。
推理小説を読了した時って、驚かされると同時に、打ちのめされますね。
さて、読み終えたので、プロローグは物語においてどのような意味を持つのか、考えてみました。
今回は、犯人の感情がそこで最高潮となったから、なのかなと推察しました。
実際は、一番の熱がこもった場面のはずです。でも、なぜだろう、冷めているんですね。覚めている、と言ってもいいように思います。読者との距離が遠い。序章であることを鑑みても、です。不思議な乖離感でした。この感覚、私にとっては新鮮で、興味深いものです。
ともかくプロローグの場面、そこに至るまでとそこからどうしたのかは、終盤まで謎でした。だからこそ、その場面を最初に置いたのだろうと、思います。
物語構成では最初と最後で度肝を抜くことが大切、とよく言われますが、なるほど得心しました。
最後になってしまいましたが、表紙の絵が素晴らしいです。海月が好きなので、余計にそう感じるのかもしれませんが、絵の風景から質感からデザインから何から、とても好きです。額縁に入れて飾っておきたい。
ミステリー小説の神髄を垣間見させて頂いたことを含め、市川憂人氏へ、心からの感謝をこめて。ありがとうございました。
Photo by Bruno Kelzer on Unsplash
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