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『私のジャンルに「神」がいます』で「神」のいない話について

二次創作界隈をグルングルンギャリンギャリンと席巻した本を、買った。

この作品がTwitterで公開開始された当初、ほぼロム専でのんびりとTLを追っていた私は、文字通り驚愕した。

一次創作でも二次創作でも絵描きをしている、Aさん。
別ジャンルで二次創作の小説を書いている、Bさん。
もちろん二人に何ら接点はなく、その他にも多種多様な人々が、TL上でなんだかよく分からない同一の単語を使っている……

なに? 「おけパ」って何?? なんか楽しいパーティの略?

TL上で多くの人がRTをしていると、元ツイートがどこなのか、すぐには辿れなくなることが良くある。
それはまあ、RTをした人のホームまで見に行けば解決するのだけど。


そうして、私は『同人女の感情』、書籍化されてからは『私のジャンルに「神」がいます』と出会った。

二次創作の字書き界隈の中で神と崇められている「綾城さん」。
そして彼女の親友、インパクトのありすぎる名前の「おけけパワー中島」。
当作品はこの二人を中心として描かれている。

綾城さんの書いた小説の読者は、神からの雷霆に直撃したような衝撃を受け、「こんな小説がこの世に存在するのか……」と感激し、感動し、打ち震える。
わかる。私もそういう小説に出会ったことある。しかも割とよくある。


綾城さんの小説と邂逅した同人女の、その後の行動は様々だ。

字書きが更に奮起して小説を書く。
綾城さんと仲の良いおけけパワー中島に嫉妬する。
自分の小説が綾城さんに認知されていたことを知って宇宙の神髄に触れる。
綾城さんがジャンル移動してしまって動揺する。
7年前で更新が止まった小説の作者(綾城さん)を知りたいがためにストーカーばりに追跡する。などなど。

この作品では各話に綾城さんが登場するが、一話だけ、綾城さんが出てこない話がある。

流行りの漫画の作者が以前連載していた漫画「銀スト」を読み、感動して激ハマリしてしまった「たまき」さん。
この子、本名の読みと同じペンネームなところが、P支部始めたてという感じがして好き。
そしてたまきさんはP支部で二次創作を検索するが……。
そこが同人女(※)の悲しい性。

(※)「ジャン神」は同人女について描かれた作品なので、敢えて「同人女」と表記しています。

同人女は、原作に対する感情が強すぎて、その行間を読みたくなる。
1話と1話の狭間、あるいはパラレルワールド、あるいは前日譚や後日譚などで、自分の「推し」や「推しCP」の姿を見ていたい。一挙一動を眺めていたい。わかるわかる。わかるよーたまきさん。

しかし。
たまきさんが検索した、「銀スト」のP支部での二次創作数は0件。

そう、0件ジャンル

これは絶望しかない。この世に人間は自分しかいないのではないかという、圧倒的な疎外感。何に負けたのかも分からない、痛切な敗北感。
ここでたまきさんは奮起して初作品を上げるのだが、ブクマ数0という事実、また自作品の拙さにも絶望して作品を消してしまう。

けれど彼女は漫画の作者の原画展へ行って一念発起し、小説の書き方を勉強し、「800字の修業」を繰り返す。
これは本当に中々出来ることではない。
他にも練習方法はあるだろうし、小難しい指南書で挫折する人、時間が足りなくて練習すらできない人もたくさんいると思う。私もそうです。しんどい。

とはいえ、当然のように、鍛錬に依らず自分の好きなように書く自由も、尊重されるものであり守られるべきだと思う。
手塚治虫は「火の鳥」をライフワークとしたけれど、自身の生産物をそこまで傾ける必要はどこにもない。

だって生きてること自体が生産だからね。
人間は息を吐くことで二酸化炭素を排出し、植物はそれと水を光エネルギーでもって合成して、自らの栄養を作り出すんだよ。植物の栄養を摂取することで動物は生きられるんだよ。生きてるだけで偉すぎる。


文章の話に戻って、「今より更に上へ行きたい」と思うならば。
結局のところ、「読んで書く」、つまり練習し続けることしか、物事の上達はあり得ない。もちろんただ読む、ただ書くだけではなくて。

名作を分析したり熟慮したり、試行錯誤を繰り返して一歩ずつ、時には戻り、泣いたり騒いだりしながらも、いつまで続くかわからないけど、繰り返して繰り返して繰り返す。

私の尊敬している、もうジャンルを移動してしまった字書きさんも、「センス」という言葉が大嫌いだったっけなあ、と懐かしく思い出す。
その人は、かみ砕くとこのように言っていたと思う。

「自分が努力して身につけたものだから、センスという一言だけで片づけてほしくない」

二次創作小説を書き始め、周りの素晴らしい字書きさんに嫉妬ばかりしていた頃の私にとって、この言葉は衝撃的だった。
でも今は、少し分かる。


たとえば『鬼滅の刃』の炭治郎たちも、地獄のような鍛錬を繰り返し、鬼たちとの戦いで更に技を錬磨し、絶望的な死線を乗り越えて強くなっていく。
あっ単行本派なので最終話は未読です。がんばれ炭治郎たち。


センスという言葉は「最初から身についているもの」と誤解されやすいけれど、本来センスを身につけること自体が、想像を絶する研鑽の賜物なのだ

そして、センスのみならずあらゆる知識と経験と想像を駆使して、同人女は絵を、文章を、創作物を、生み出す。

何故なのか?
何故そこまで死力を尽くして、睡眠時間と健康と寿命を著しく削りながらも書いてしまうのか?


たまきさんの話に戻る。
彼女は、先に挙げた苦心惨憺を重ね、4か月かけて小説を書き上げた。
その小説をどうしてP支部にアップしないのか幼馴染に問われ、「もっと上手くなってから」……と言い訳をする。
すると幼馴染が「そんなにブクマが欲しいなら、流行ってる漫画の方で小説を書いたらいいじゃない」と言い、彼女は激高して以下の言葉を叫ぶ。

「私の頭の中にある最高の妄想を、作品としてこの世に生み出すことが出来るのは私だけなの」

(※引用したセリフ内の読点は、文章での読みやすさを考慮して私が入れました)

『私のジャンルに「神」がいます』の中で、私はこの言葉が一番好きだ。

今まで何度も使われてきた言い回し、よくバズってるツイートでも書かれている、もはや普遍的とも言えるような一言が。
それだけこの言葉を、創作する側の同人女は大切にしている。

頭に湧き出すこの美しい映像を、流れるような韻律を、形にしなければ先には進めない、そんな気持ちになるからだ。
そうでないと、とても続けていられない。こんな大変なこと。

なぜ創作する人間は、脳内の妄想だけでは満足しないのか?
この答えは億通りもあると思う。
けれど私が自分で書く時に思うのは、
「実体として完成したものを、自分でも読みたいから」
「そして出来れば皆にも見てもらいたいから」

だ。

特に私って記憶力がダメダメで、朝の妄想を昼にはもう忘れてるんですよ。
だから思いついたことはすぐにメモして、後で整理して、書ける時にまとめて書く。書けたらいいな。一回書くことをやめたので、今はリハビリ中。
だから余計に、完成したものを読みたいのかもしれない。

それとは別に、ぼんやりと推しのことを妄想して、創作することは微塵も考えずに、うふふ楽しい~と時間を過ごすこともある。
私にとってはそれぞれが大切で、どちらも失いたくない時間だ。


翻って。
たまきさんの話は、アップした小説を「おけけパワー中島」にブクマ&シェアツイートしてもらったところで終わっている。
なんだ、おけパ中島、いいやつじゃん……。と思った読者もいただろうと思う。私もです。

そして何度も言うが、この話には唯一、綾城さんが出てこない。
カメオ出演的にチラッと出るんだけど、話にはそこまで絡まない。

「神」のいない話。この話は何なのか?

この作品の中では、「綾城さん」という、二次創作小説ジャンルの中での「神」が存在している。
ただ本来、二次創作のもととなる原作の創造神は原作者であり、言うなれば物語そのものが「神」。それ以外の神は、存在しない。
あ、グッズとかは派生神かな。私にとっては、一神教ではないね。それも人それぞれだね。

原作者は、公式という冠を戴いた「物語」を我々に提供する。
そして我々二次創作者たちは、言うまでもなく原作を愛している。
『私のジャンルに「神」がいます』は、「原作を愛していること」が「大前提」として描かれている。

……と思うんだけど、私を含めて読む側は、それを忘れてしまう時もある。
人間だからさ。うん。
神のごとく崇拝されたり妬まれたりしている綾城さんだけれど、それは当然、膨大な二次創作ジャンル内の日常の一コマであって全てではない。

綾城さんだけでなく二次創作者が描き続け、読まれ続けるのは何故なのか。

私はその答えとして、この「第4話」があるように思う。

「原作が素晴らしかった感動」と、「この感動を形にしたい情熱」。

それこそが、同人女の感情として、一番私に共感しうるところだった。


最後に、この作品を作り出して下さった、作者の真田様へ感謝を。
ありがとうございました。

Photo by Todd Rhines on Unsplash

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