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クローバーの茎は酸っぱかった。親になって「意図的に」忘れていたこと

久しぶりに、すこし長く外出しました。

外は十一月とは思えない陽気と晴天で、夏の終わりのような爽やかさに、目がくらむようです。

なるべく家の中にいたい昨今ですが、季節の変わり目になると娘のアトピー肌がひどくなるため、皮膚科へ通院してきたのでした。

我が家の娘は一人っ子で、小学一年生です。

帰り道、娘がどうしても公園へ行きたいというので、三十分だけという約束で、立ち寄りました。

公園の真ん中で見上げる空は、家も電線も木もありません。
視界いっぱいに広がるうすい青に、身体ごと呑み込まれるようです。

頭上からせまる青の気配に包まれながら、娘はおそらく「コロナ世代」と呼ばれるだろうな、とぼんやり考えていました。

小学生になって半年ほど過ぎた娘ですが、まだまだ忘れものなども多く、目も手も口も離せません。

それでも、磨きあげたレンズのようにすきとおった青空の下、全力で駆けていく娘の背中を見ると、いつの間にこんなに大きくなったんだろう……と感傷的になってしまいました。

そして、考えます。
いつから私は、「親」の視点になってしまったのだろう、と。

私は娘が幼児の頃、映画でも小説でも、幼い子どもが出てくると無条件で泣いてしまう時期がありました。
「まだ小さいのにこんなに頑張って……」というように、必要以上に感情移入してしまう。
私は「幼い子ども」にではなく、「その子の親」の立場になって観ていたのです。

そんな「親」という目線を、私が手に入れたのはいつからだろう?

出産の時は必死だったし、産後数ヶ月の記憶は昼夜もなく不明瞭で、これといった瞬間がある訳ではありません。
振り返ると、私の場合は、娘に対して「生命の安全」や「社会的な常識」を説くうちに、培われてきたように思います。

これは危ないよ。これは大丈夫。
「ありがとう」や「ごめんなさい」を大切に。

親は子に教示しようと相対する時、「親」であろうとする。ふむふむ。
それは逆説的に「子の立場を考えづらくなる」とも言えます。私は特に視野が狭いので、なかなか視点を変えることが出来ません。

自分もかつては、子どもだったはずなのに。
どうして「子どもの目線」を忘れてしまうのだろう。

そもそも親はなぜ、子を守ろうとするのでしょうか。

それは言うまでもなく生物の本能、自らの遺伝子を受け継がせるために他なりませんが、子を守るためには、力がないといけません。

動物なら、外敵に打ち勝つ力や手段でしょう。
人間であれば社会で有利になる力、経済力や社会性をより強く持った存在であることが、「社会的に有能な」親として求められるように思います。
植物でさえも、たとえばタンポポのように、子孫を守るため種子を飛ばすのです。

だからこそ人は、我が子を前にして親であろう、幼子の前で大人であろうとします。

ちなみに娘は鉛筆を噛む癖があり、何本もボロボロにしています。その度に諭したり叱ったりしていますが、なかなか治りません。

時には私がしびれを切らして激怒してしまい、落ち着いた頃に理由を話して謝ることもあります。とはいえ、私が感情的になりすぎてもいけないことは、自分でも分かっているのです。
親が怒れば怒るほど、互いに意固地になってしまうから。

ある時、私がヒステリックに怒っていると、旦那がぽつりと言いました。
「俺も鉛筆噛んでたことあるよ」

それで、はっと思い出すことがありました。
私も子どもの頃、アルミホイルを噛んだ時のがじがじとした感触と味が好きで、親に隠れて噛んでいたのです。
(よくアルミホイル噛むとキーンとする、と聞きますが、私は覚えがありません。ちょうど癖だった時期に虫歯が無かったのかも。)

他にもクローバーの茎の味が好きで、よく噛んでいました。たしか、酸っぱいんですよ。クローバーの茎って。

そういったことを、私はいつの間にか忘れてしまっていたのではなく、「親」であろうとするあまりに、意図的に忘れていたのだ、と気づいたのです。

私は、「親」という存在で「子」を諭すためには、まず自分が「大人」でなくてはいけないと、思い込んでいました。
でも「子どもの視点」も忘れずに持っていないと、親はただ、強制力の高い「命令」を子に対して行うだけの機構になってしまう

そしてもうひとつ忘れてはいけないと自戒するのは、娘もまた、一人の独立した人格を形成し始めているということです。

親の言うことを素直に聞いていたのは、遠い過去の話。
子の視点になって一緒に考え、お互いの気持ちを理解すること。
これが一番難しいのですが、やろうと思わなければ何事も出来ません……。うわーん。

今、娘はまだ思春期とは言えない時期なので、私も呑気に言っていますが、これがあと数年もしたら、また別の立場でものを考えなくてはいけない、ということはよく分かっています。
その時はその時で。今は今を。

もちろん、命にかかわることや犯罪行為、社会規範に背く行為などは厳格に正していきたい次第ですが。

それ以外のことは余裕をもって、子どもの立場を考えて相手をしてあげたいなあ、としみじみ思いました。
そして、そういったことを考える機会を与えてくれた娘に感謝する、今日この頃です。

いつも、ありがとう。

Photo by Patrick Fore on Unsplash

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