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2025年秋~朝ドラは「ばけばけ」記事からの小泉八雲=ラフカディオ・ハーンヘの断続的追想

2025年秋~朝ドラは、「ばけばけ」

来年秋から放送のNHK連続テレビ小説は、明治時代の作家、小泉八雲の妻、小泉セツをモデルにした、「ばけばけ」に決まりました

#nhk_video

※※※

さて、小泉八雲=ラフカディオ・ハーンといえば、私の両親の郷里、山陰地方、松江文化圏の、明治期の文豪、ジャーナリストとして有名ですね。

来歴としては、ギリシア系とアイルランド系の血筋を持ち、その後は、新聞記者として、シンシナティーや、ジャズ勃興期のニューオーリンズや、クレオール文化圏のマルチニーク島など世界中を転々と旅した後に、明治期の日本に来日して、横浜港から入国後に、島根県松江、熊本県の熊本などに移り住んだ後に、晩年は東京の、現在の新宿区で、54歳という短い生涯を終えています。

松江時代に、地元では、ハーンのドイツ語風の呼称ヘルンさん(旧制松江中学校ヘの赴任時にそう呼ばれ、本人も、その呼称が好きだったようですね)と親しまれるとともに、身の回りの世話をしてくれた、このドラマの主人公となるセツ(節子)と結婚して、後年に旧家の氏族だった妻の実家の小泉姓を名乗って、ペンネームとして小泉八雲(その頃に初めて英訳された『古事記』に出てくる、スサノヲノミコトが初めて和歌を詠んだ、「八雲立 出雲八重垣 妻込みに 八重垣つくる その八重垣を」の八雲に因む)と称するようになります。

ただ、南洋の気候を愛し、極端に寒さ嫌いだった彼は、松江の厳しい冬に耐えかね、やがて温暖な地を求めて、その年の春には熊本に転居することになるのですが…。

島根県松江市にある「小泉八雲記念館」に詳細な年譜が掲載されていて、彼の生涯の全貌が編年体により記されていますね。

そして、コロナ禍となる以前、私は、東京都の新宿区にある、「小泉八雲記念公園」を訪ねたことがあります。

彼の故郷の1つであるギリシアに因んだ、ギリシア庭園式の瀟洒な公園(ただし、セイタカアワダチソウなどの雑草が生え放題で、ネコの棲家ともなっていましたが^^;)で、もう1つの故郷であるアイルランドに因むモニュメントもある、隠れた名所でもありますね。

【「小泉八雲記念公園」訪問記】

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コロナ禍となる前の、ある日の土曜日の午後に、東新宿の朗読会「ここからだ」ワークショップ(女優の多田慶子さん主宰)発表会の会場である新宿区戸山生涯学習館に行く前に少々時間があったので、東新宿駅の近くに掲示された地図を見て偶然発見した「小泉八雲記念公園」へ。

東新宿駅の近くに掲示されていた地図を見て、
偶然「小泉八雲記念公園」を発見

小泉八雲は、明治期に日本にやって来たジャーナリストにして作家のラフカディオ・ハーンの日本名です。

ギリシアやアイルランドの血を引くハーンは、若い時分はアメリカ合衆国の各地や、フランス領西インド諸島のマルチニーク島などでのジャーナリストとしての活動を経てから、明治維新真っ只中の日本にやって来たことになります。

ここの公園に記された記録で知ったのですが、ハーンが1890年に来日してから、日本で暮らしたのは14年足らず。

当初は島根県の松江に暮らして、ドイツ語風のヘルンさんと地元の人たちに呼ばれて親しまれましたが、松江の冬の厳しさに耐え兼ねたハーン夫妻(この地で日本人の女性小泉セツと結婚し、後年小泉姓を名乗ります)は、間もなく温暖な熊本に移り住みます。

ここまでは、私も彼の足跡を知っていたのですが、その後の彼の生涯の終焉の地がこの地、新宿区の大久保であったことを初めて知りました。

そこで、1989年に新宿区とギリシアのレフカダ町(彼のファーストネーム「ラフカディオ」は、たぶんこの地名に因むものでしょうね。その後調べたところ、ファーストネームはパトリックで、ミドルネームでしたが)が姉妹都市になったのを記念して、1993年にこのギリシア庭園風の公園が開園されたとのことです。

この公園にはもう1つのモニュメントがあり、ハーンの父親の故郷であり、ラフカディオ少年が幼少期を過ごした、アイルランドのダブリン市からの記念碑として、レリーフも埋め込まれていました。

基本的には、ちょっと瀟洒な公園なのですが、日本とギリシアとアイルランドの友好のシンボルとなっている公園でもありました。

新宿区の隠れた名所の1つと言えましょう。

「小泉八雲記念公園」について

アーチに、
「新宿区立 小泉八雲記念公園」
と記されていました。


【「森の音舎」主催の「邂逅」と題した朗読と邦楽と洋楽のコラボレーションイベント】

https://www.facebook.com/share/p/2DnPftHq2suaVmzz/

とある金曜日の夜は、文京区の求道会館で催された、小泉八雲と夏目漱石が、もしもこの世で出会っていたらという「邂逅」と題した朗読と邦楽と洋楽のコラボレーションイベントを観てきました。

このイベントについて、Facebookで情報発信しているのを知って「興味あり」ボタンを押していたら、森の音舎の主催者、森反ナナ子さんから直接ご案内をいただき出掛けました。

私の父母の郷里が、小泉八雲が愛して、夫人の小泉セツさんと出会った街である松江市の隣町の境港であることと、母方の曾祖父が、小泉八雲が教鞭を執った旧制松江中学校の校長をしていて、職員名簿に両者が記されていた話と、東京都の東新宿大久保には、小泉八雲記念公園があることを話したら、大変喜ばれました。

この世では一度も会っていなかった小泉八雲と夏目漱石(明治期に来日後に、島根県松江〜熊本県熊本〜東京ヘと移り住んだ八雲は、東京在住時には、現在の東京大学の英語教師を勤めていましたが、やがて任期中に解任されてしまいました。その後任が夏目漱石だったのですが、本人たちは直接的には会っておらず、八雲の教え子たちは解任された彼に同情的で、後任の夏目漱石に対しては、かなり反発心を抱いていたという話も遺されています)が、心の世界では赤い糸で結ばれていたことを伝えるために、両者の作品の朗読とともに、三味線や二胡、ピアノとヴァイオリンによる“響演”を通じて、その精神世界を再現する試みは、大変興味深いものでした♪

会場も、和洋折衷建築様式の求道会館で、古い街並みが残る東大前の風情にもマッチしていて、ひととき、明治時代にタイムスリップしたかのような錯覚を楽しむことができました。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1981185395452004&id=1575167122720502

「邂逅 八雲から漱石へ 」

八雲最晩年に出版された怪談を、漱石は千駄木の地で読み耽ったといわれます。

当時の千駄木には鬱蒼とした雑木林が多く昼なお濃い緑陰をもたらしていたそうです。

まして夜ともなれば梟が鳴き、何やら闇の中に潜む気配にこの世ならぬものを感じることが出来たのでしょう。

闇への畏れといいましょうか。この地で後年発表される夢十夜の構想が練られたことでしょう。

八雲の「子捨ての話」夏目漱石夢十夜の「第三夜」を後半プログラム冒頭でお聴きくらべいただきます。

ともに、父が背負っているのは幼い息子であるわけですが、作風、肌触りの違いを邦楽、洋楽の表現でお楽しみください。

「子捨ての話」
語り高橋和久
三味線常磐津文重太夫

「第三夜」
語り新井純
ピアノ森反ナナ子
作曲岩間麻里

和洋折衷建築様式の求道会館
ひととき、明治時代にタイムスリップしたかのような錯覚を楽しむことができました。


【クレオールと私】

https://www.facebook.com/share/p/iGT7YcPTmCF5vine/

実は、クレオール文化とは何かと縁があり、1985年の「第1回東京国際映画祭」に出品されたクレオール系フランス人女性監督ユーザン・パルシー(Enzhan Palcy。1958年1月生まれで、まさに同学年で超美人。 同映画祭開催時に来日され、当時目の前で本人を目撃して、この映画祭に出演した、各国のどんな有名美人映画女優(かつては、名画『禁じられた遊び』の子役として名を馳せ、その後は、主演女優としてカンバックして『エミリーの未来』とともに来日した、ブリジット・フォッセーさんも来日されて舞台挨拶もされましたね)をも凌ぐ美しさにひと目惚れしてしまいました♪)

若き日のeuzhan-palcy監督

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%BC


「第1回東京国際映画祭パンフレット」より:カネボウ国際女性映画週間(「マルチニックの少年」ギャリー・カドナ/監督・ユーザン・パルシー)

※なかなか上映記録が見つかりませんでしたが、やっと見つけました。その後、1985年に岩波ホールの「エキプドシネマ」でロードショー公開されました。

の「マルチニックの少年」を観たのが、マルティニーク島やクレオール文化に触れた最初でした。

About the movie "Rue Cases Necres"

http://movie.walkerplus.com/person/23969/

サントラ盤「マルチニックの少年」は入手可能♪(現在は廃盤)

その後、ジャズシンガーMAYAさんが、ラテン音楽とクレオール文化を大々的にフィーチャーしたアルバム『マルチニークの女』を出し、このアルバムも必聴です。

さらには、小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーンが、明治期の日本に辿り着く前に、アメリカのニュー・オリンズやマルティニーク島に滞在していたことがあり、この文化の影響を受けていたことがわかりました。

さて、この料理読本には、どのようなことが書かれているのか、今から興味津々です♪


【リレーおぴにおん「ジャズと私」】
 https://www.facebook.com/share/p/AXSchSYqxMRGSLJE/

朝日新聞のリレーおぴにおん「ジャズと私」第2回目は、ジャズピアニストで国際数学オリンピック金メダリストの中島さち子さん。

この方とは共通の友人を介した知り合いで、吉祥寺のサムタイムや新宿のピットインで、彼女のリーダーグループのライブを聴いたことがあります。

その第1回目の連載が小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーンの曾孫、小泉凡さんの記事で、こちらは両親の郷里の山陰にゆかりのある人物であり、実は母方の曾祖父が、ハーンが教鞭を執っていた旧制松江中学校の校長を務めていたそうで、職員名簿に両者の名前が記されているのを見たことがあります。

朝日新聞:(リレーおぴにおん)ジャズと私:1 
黎明期の音楽、八雲を魅了 小泉凡さん 
※「ラフカディオ・ハーン…は来日前の19世紀後半、ジャズ発祥の地といわれる米南部のニューオーリンズに住み、胎動期のジャズを聞いていたんですよ」 http://fb.me/KO9WMf0h
午前9:42 · 2017年5月30日

何かとご縁がある「ジャズと私」。

個人的にも要チェックです♪

八雲会という、小泉八雲を顕彰するSNSもありますね。

https://twitter.com/yakumokai?t=xNsiAOjte8FXh5IeCjMFUw&s=09

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E5%87%A1


【私家版「ジャズと私」】

これは、コロナ禍前に観た、アマチュアのオペレッタ劇団の劇評ですが、今読み返してみると、ある意味、私家版「ジャズと私」のお題の答えともなっていて面白かったです♪

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=857523374277379&id=100000591726100

昨日は、大変魅惑的なオペレッタを堪能することができました。

「ガレリア座」というアマチュアのオペレッタ劇団なのですが、非常にレベルの高い内容で、いつも驚かされております。

ガレリア座第26回公演オペレッタ・プロジェクト18

演目は、E.カールマン作曲 喜歌劇「シカゴ大公令嬢」(全2幕/日本語訳詞上演)

「シカゴ大公令嬢」という曲目は、吹奏楽では比較的多く演奏されますが、日本語訳詩のオペレッタとして上演されるのは、本邦初だとか。

舞台は、第一次大戦の惨禍の記憶も生々しい1920年代のヨーロッパ。

戦中戦後の軍事景気で一気に勃興し、この旧欧州大陸にビジネスチャンスの狙いを定め、閉鎖的な社交界にジャズのライブサロンを武器に殴り込みを掛け我が物顔で席巻する、新興国アメリカの“ギャングが抜呱する街”シカゴからやって来た億万長者連中が醸し出す、成金趣味の実利主義的で表層的な近代文明の胡散臭さ

(その象徴が、アメリカ発祥の流行音楽ジャズに由来し、それもプランテーションの過酷な労働に辟易とした黒人の憂さ晴らしに端を発したダンス音楽を、ビジネスに目敏い白人たちが権力を傘に着て模倣した、近頃なぜか大流行りのサロンミュージック「チャールストン」)と、

欧州が直接の主戦場となった人類初の「世界大戦」で疲弊し急激に没落していく、とある小国の王侯貴族が意地でも守り抜こうとした伝統と民族的な文化の儚さ

(その象徴が、かつて、シュトラウス父子の初演時の十九世紀には、王侯貴族社交界を中心としたクラシック音楽の世界では低俗でチャラい舞踏音楽と揶揄されていたが、やがて二十世紀になるとそのあまりの人気振りにいつの間にか欧州の伝統音楽にまで"昇格"した「ワルツ」と、

実は、彼の国アメリカの二十世紀初頭の最先端音楽としてもてはやされているチャールストンのルーツであったらしい、中世から庶民に愛されていた欧州の民族舞踊「チャールダーシュ」)

との相克が、この喜歌劇を通して鮮やかに描かれていました。

物語は、シカゴからやって来た辣腕女性経営者が、欧州小国の没落の一途を辿る皇太子殿下の居城を、ジャズとチャールストンを売り物にした音楽サロンとして買収しようとしたところ、頑固で不器用だが、欧州伝統文化を頑なに守ろうとする彼の真心に触れ、いつしか二人は恋に落ち、遂に彼女は「シカゴ大公令嬢」の称号を得て、世の中の荒波に立ち向かって行こうと二人が決意するところで大団円を迎えます。

しかし時は、狂騒の1920年代=ローリング・トウェンティーズと呼ばれた、アメリカの物質文明が頂点に達しながらも、やがて1929年に壊滅的な経済状況の破綻が起きる大恐慌時代が迫りつつあり、再出発を誓う二人には暗い影が忍び寄っているところで物語は終わりを告げます。

本劇の詳細とあらすじが紹介されているブログを2つご紹介しておきます。

http://melma.com/sp/backnumber_153724_3070324/

さて、この劇団には、職場の同僚も出演者の一人として名を連ねており、そのことも、このイベントを贔屓にしている理由ではありますが、毎年開催される次の定期公演も、乞ご期待ですね!

https://www.facebook.com/share/p/bVSQdYcwBQLTqw72/


【久恒啓一「小泉八雲の言葉」より】

小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの言葉を受けた久恒先生の解説の一文

「文明は常に新しいものをつくる。それは近代以降はすぐに世界共通のインフラとなる。その国の文化は古いものの中にしかない。だから旅行者の目には、古いものだけが新しいと感じるのだ。古いものは新しい。」

は、大変深いですね。

【アイルランド文化に触れて】

そして、ラフカディオ・ハーンと縁が深い、アイルランドの文化に触れることができるのが、このお話に繋がっていきますね。

【アイルランド出身の著者が描く、空想と史実が織りなす魂の伝記小説。『黒い蜻蛉』「ラフカディオ・ハーン」はいかにして「日本人・小泉八雲」となったのか。今夏発売】

『怪談』『知られぬ日本の面影』『日本――一つの試論』。日本人も気づいていなかった日本文化の魅力・価値に気づき、世界に広めた人物、小泉八雲。
自身の生い立ちに由来するコンプレックス、葛藤にもがいていたかつての彼、「ラフカディオ・ハーン」はいかにして「日本人・小泉八雲」となったのか。日本へ渡り、日本人の生き方や文化、そして妻となる女性、小泉セツに出会い、彼の人生はヤゴがトンボとなって飛び立つがごとく変わっていく――。
アイルランド出身の著者が描く、空想と史実が織りなす魂の伝記小説。日本人とは何かという問いを、現代の私たちに投げかける。

日本人よりも日本を愛した男、小泉八雲。彼の人生は、私たちに「日本人とは何か」を問いかける。空想と史実が織りなす伝記小説。

著者 ジーン・パスリー 著
小宮 由 翻訳
ジャンル 仏教・宗教書/一般書 > 仏教・宗教書
出版年月日 2024/08/30
ISBN 9784333029259
判型・ページ数 4-6・344ページ
定価 2,750円(税込)

【編集者コメント】
「雪女」「耳なし芳一」「ろくろ首」……日本の「怪談」を世界に広めた小泉八雲。アイルランド人著者がえがいた新たな八雲の物語が、没後120年のいま、邦訳されます。

生い立ちや外見によるコンプレックスを抱え、葛藤しながらも前に進んでいく、ひとりの人間としての「小泉八雲」が浮き彫りに。主人公の八雲とともに明治の日本を生き、「生きるとは何か」という問いの答えを探し求める。これらの感覚を味わえる小説です。



https://www.facebook.com/share/p/aEq1wNNvXpWX6HJc/


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