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極私的坂本龍一考その壱


以下のインタビュー記事にインスパイアされた話

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一方で、反権威主義者だった坂本さんは、政治や社会活動においては、
「世界のサカモト」という権威性を意図的に利用していったとも。

彼の運動や音楽の本質にひそむものとは、何だったのか。佐々木さん
に話を聞きました。



彼が最も私淑したのは誰かと考えると、
やはり、『七人の侍』や『羅生門』の音楽を担当した
早坂文雄氏だったと、私は思います。

『戦場のメリークリスマス』や『ラスト・エンペラー』に代表される、抒情的でモダンな楽器、
特にシンセサイザーのサウンドを駆使したメロディの奥底に流れる、極めて日本的な情緒や情感、情念を聴き取るにつけ、ああ、この人は、やっぱり、現代の早坂文雄になりたかったのじゃないかな、
という意を強く感じました。

考えてみれば、シンセサイザーの音色というのは、急に現代音楽からもたらされたものでは決してなくて、実は、日本の「越天楽」に代表される雅楽で、まるで通奏低音のように流れる
「笙(しょう)」の響きこそ、極めて西洋音楽的なシンセサイザーが目指した音色と瓜二つのような気がします。

『羅生門』の劇伴音楽でも、侍が殺された後に、まるで裁判にかけられたかのような実況見分が行われ、死者を含む被害者と容疑者たちが自己の生き様を主張する回想場面で、奥底でずっと流れている笙の響きこそ早坂音楽の真骨頂であり、
たぶん、坂本龍一さんも、そのような世界観を現代においてどのように再現するかについて、心を砕いたのではないかと思います。

【音楽】
本作の音楽は早坂文雄が作曲した。
真砂の証言シーンでは、ラヴェルの「ボレロ」に似た音楽を作曲している。これは黒澤のアイデアで、そのシーンの脚本を書いている時に、頭の中で「ボレロ」のリズムが思い浮かんだからだという。
「ボレロ」の故国フランスでは、あまりにも酷似しているとして物議を醸し、ラヴェルの楽譜の出版元からも抗議の手紙が寄せられたが、早坂のオリジナル・ボレロだと主張して事なきを得た。

さて、笙は、音を出す原理がパイプオルガンと同じであり、アンデスのケーナも、そして、ドイツのホーナー社(ハーモニカで有名)発祥で、試作品しか製造されずに、今や日本では、数人しかプロフェッショナルな演奏家がいないといわれる、クラヴィオーラ(Wikipediaでは、英語の綴りとは異なる「クラビオーラ」という表記になっていますが、これで我慢してください)も、同じ原理で音を奏でていますね。

ある意味、笛系木管楽器の源流となった楽器が、ある時は鍵盤を持ったり、またある時は雅楽の吹奏楽器として留まることで、その独自性を発揮しているといえるのかもしれませんね。


Wikipediaによる笙についての解説より



笙(しょう)は、雅楽の管楽器の一つ。自由簧に属する。

日本には奈良時代ごろに雅楽とともに伝わってきたと考えられている。
その形は翼を立てて休んでいる鳳凰に見立てられることから、笙は別名として鳳笙(ほうしょう)とも呼ばれる。
匏(ほう) と呼ばれる部分の上に17本の細い竹管を円形に配置し、竹管に空けられた指穴を押さえ、匏の横側に空けられた吹口に息を吸ったり吐いたりして、17本のうち原則15本の竹管の下部に付けられた金属製の簧(した:リード)を振動させて音を出す。


音程は簧の固有振動数によって決定し、竹管で共鳴させて発音する。パイプオルガンのリード管と同じ原理である。
基本的に竹管には屏上(びょうじょう)と呼ばれる長方形の穴があり、共鳴管としての管長は全長ではなくこの穴で決まる。
そのため見かけの竹管の長さと音程の並びは一致しない。
屏上は表の場合と裏の場合があるが、表の場合は装飾が施されている。
指穴を押さえていない管で音が出ないのは、共鳴しない位置に指穴が開けられているためである。

ハーモニカと異なり、吸っても吹いても同じ音が出せるので、他の吹奏楽器のような息継ぎが不要であり、同じ音をずっと鳴らし続けることも出来る(呼吸を替える時に瞬間的に音量が低下するのみ)。
押さえる穴の組み合わせを変えることで、基本的なものだけで11種類の合竹(あいたけ)と呼ばれる和音を出すことができる。通常の唐楽では基本の合竹による奏法が中心であるが、調子、音取、催馬楽、朗詠では一竹(いっちく:単音で旋律を奏すること。一本吹きともいう)や特殊な合竹も用いる。高麗楽では用いられない。

【その音色は天から差し込む光を表すといわれている。】

構造上、呼気によって内部が結露しやすく、そのまま演奏し続けると簧に水滴が付いて音高が狂い、やがて音そのものが出なくなる。そのため、火鉢やコンロなどで演奏前や間に楽器を暖めることが必要である。

笙の調律の際には、簧におもりとして蜜蝋と松脂の混合物を付け、その量を調節する。
笙の簧には、青石(しょうせき)といって、孔雀石を硯ですった液が塗られている。これを塗る理由としては、簧の切り溝の隙間を埋め、息漏れを防ぐためと、水分を分散し蒸散を促進させるためという2つの点が挙げられる。また笙調律用蜜蝋(商品名としては蜜蝋だが実際には松脂を含む)や青石汁は市販されている。

竹管はばらけないように金属製(多くは銀や真鍮)の帯で束ねられている。その帯は単なる輪でなく竹をあしらった彫刻がされている。
また帯が切り口に直接当たる最も短い千・也・言の3本の竹管には、竹管上部を保護する逆輪(さかわ)という金属(多くは銀や真鍮)のキャップが取り付けられている。

笙に使われる竹は、本来は茅葺家屋の屋根裏で長期間囲炉裏の煙で燻されたもの(煤竹)が使われており、そのような家が解体されるときに、楽器製作者が貰い受けているが、そのような家屋自体が激減し、材料難となっている。
そのため近年作られる笙のうち大部分は白竹で作られた笙であり、価格も煤竹のものの方が白竹のものよりはるかに高く、人工煤竹で作られた笙もある。

雅楽における笙の楽譜は、合竹の名前を順に並べたものとなっており、笙の唱歌は合竹の名前と篳篥の旋律に近い音程で歌われる。

なお、平安時代の「基経」を笙の「楽祖」とする]。
「基経」とは、『続群書類従』管弦部所蔵の「鳳笙師伝相承」によれば、藤原基経のことで、その後楽人である豊原家に継承されるが豊原時延・時光父子が源頼義及び息子の源義家・義光に伝授され、後に義光が時光の嫡男である時元に返り伝授されたことが記されている。
それを意識したのか、足利尊氏も若い頃から笙を習得し、観応の擾乱後に尊氏に擁立された後光厳天皇も尊氏に倣って尊氏の師である豊原龍秋から笙を習得し、その後歴代天皇の間でも笙を演奏するようになった。
また、尊氏を祖とする足利将軍家でも笙は将軍家の象徴(レガリア)とみなされていた。

笙は本来の用途である雅楽だけでなく、明治期の宮城道雄以来現代邦楽にも自由に使われるようになり、また現代ではクラシック音楽の作曲家によって管弦楽や室内楽の中で、あるいは声楽の伴奏楽器として活用されることもある。

笙の合竹は洋楽からすると不協和音となるが、雅楽調律(順八逆六/三分損益法/ピタゴラス音律)の場合、むしろ澄んだ音色に聞こえる。クロード・ドビュッシーの和音は笙の影響がみられるという説もある。

西洋音楽系の現代音楽では、雅楽の楽器も国内外の作曲家によって使用されることがあるが、その中でも特に笙はそのような使用例が多い(現代雅楽も参照)。
ジョン・ケージの晩年の作品の「One9」や「Two3」なども笙のために書かれている。

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