オオカミの遠吠えと人間の物狂おし
オオカミの遠吠えを聴くと、他人事とはとても思えませんね。
オオカミの遠吠えには、ちゃんとした理由があるとのことですが、
たとえそうであっても、本人、いや本狼からすると、どうしても、遠吠えしないといけないような気がするという情動に駆られて、それをやってしまうような気がしますね。
実は、飼い犬であっても、何故か救急車のサイレンが街中に鳴り響くと、辺りにいる飼い犬が、次々と遠吠えをするじゃないですか。
あれは、先祖のオオカミの習性が甦ってきたとしか考えられませんね。
どんなに飼い主がやめろと叱っても、サイレンが通り過ぎない限り、絶対やめませんからね。
あと、飼い犬にタオルを咥えさせてぐいぐい引っ張ると、ある時点で唸り声を挙げて目が据わってきますが、あれも、野性のオオカミ時代の本能を刺激されるのでしょうね。
翻って人間を考えると、こういったSNSで発信したり、高尚な行為とはいえ、文学作品を発表したり、歌や楽器を演奏したりするのにも、仕事以外として、どこか、オオカミや飼い犬の遠吠えのような情動に駆られてしまう要素があるように感じられますね。
それを終えると、遠吠えを終えたオオカミのように、スッキリとした表情になって、まるで歯磨きを終えて眠りに就けるのと同じような感じですね。
何の脈絡もなく、突然遠吠えを始めて、それを終えると、何事もなかったかのように普段の表情に戻る彼女=シンラの姿を観ると、それが正しいと確信できますね。
しかし、昔の人たちは、それを
物狂おし
という言葉を使いましたが、まさにそれが一番ぴったり来る表現だと思いますね。
物狂おしという想いに駆られて、
それをラスコーやアルタミラのような洞窟に岩絵として遺したり、
古今東西では、
木簡や紙に文字として残したり、音楽や絵画、
さらに現代では、写真や映像に
刻み込もうとするのだと思います。
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