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サウダージについて(2024.06.30)

[ここからは1,000文字に含みません]
十一日目です。
そういえば、一日〜十日まではすべて何かしらの特別な呼称があるのに対して十一日からはあまりないのは不思議ですね。二十日とかはあるけれど。
こういう、そういえばって気づきが謎解きの問題を作るときに使えたりします。日常にある色とか、記号とか。意味とか。言葉とか。
私は謎解きクリエイターとしての能力がそこまで高い方だとは思いませんが、それでも自分の気づいた世界の点や浮かんだ疑問を形にして届けられるこのあり方が気に入っています。
こんな感じでずっと生きていたいなあと思います。なんて幸せなことでしょう。
[ここまでは1,000文字に含みません]




サウダージについて書いていく、よーいスタート。


今までのお題の中で初めて、読者の方でも聞き馴染みのない言葉がきました。
サウダージとは、ポルトガル語の単語です。意味は……と説明したいところですが、実はこの単語の有名な要素として「他の言語での翻訳が非常にしづらい語」というところがあるのです。
日本語で言うところの「侘び寂び」と近いところがあるかと思います。「侘び寂び」も英語で言うと何かって言われると難しくて、基本的にWabi -Sabiと音をそのまま表記する形で対応していますよね。サウダージもそんな感じ。
主にポルトガルと、かつてその植民地であったブラジルなどで用いられる概念であり、しかし明確にこれ、という規定は未だされていないという謎おおき言葉です。

ちなみになぜ私がこんなにサウダージについて喋れるのかと言うと、私の好きな漫画にポルトガル人の女性マルタさんが日本での生活を楽しむ『くーねるまるた』があるからです。(全14巻、続編の『くーねるまるた ぬーぼ』も14巻まで続いているという、実はロングヒット作品。なぞのデザイナーは全巻紙で、10年前くらいから買っています)
作中でサウダージはマルタさんの働く雑貨屋さんの名前として登場しています。その雑貨屋さんの店主イリーナさんがブラジル人でもあるところから、ポルトガル語圏で非常に重要な言葉として使われていることが察せられると思います。

サウダージ、という言葉をなんとか解釈しようとすると、「もう二度と戻れないかつての日々への懐かしさ」とか「追い求めても届かない憧れ」のようなものがあるそうです。確かに郷愁とはまた少し違いますし、憧憬とか思慕?いやいや……

あくまで私の体験した中での話にはなりますが、私は学校というジャンルの建物(もしくはそこをリノベーションした、学校の残り香のある建物)の中を歩くと、不意にプラスでもマイナスでもない不思議な感覚に襲われることがあります。
私にとって学校は、あまりいい思い出がある場所ではありません。勉強も運動も苦手でしたし、人付き合いなら尚のこと。そのことを思えば、普通は学校に類する場所に行ったらあまり気分が良く無くなるのが道理ではないかと思います。
しかし、私にはそのマイナスな現象は起きませんし、だからと言って楽しかった思い出が明確に思い起こされるわけでもありません。
ただ、なんというか、過ごせるかも知れなかった楽しい時間の“楽しさ”だけがなんとなく頭の上のちょうど手の届かないところにあって、それをぼんやりと眺める、そんな感じがするのです。
それで何かが変わるわけではありませんが、でもなんとなく、その時間自体は色のついた空白の感情に包まれています。好きでも嫌いでもない、本当に空っぽで、でも確かにいいものがある感じ。

これがサウダージなのでしょうか。
いつかポルトガル語が話せるようになったら、誰かに聞いてみたいものです。

(文字数:1198文字)

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