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ノスタルジーの凱旋とコウノトリのイロニー

子供の頃は、なんでも宝物のように思えた。なんでも憧れのように見えた。

なのに、その頃宝物や憧れだったものを今手に入れられるようになっても、あの頃のトキメキは帰ってこない。
得られるのは、満たされない懐古の気持ちだけだった。


ハッピーターンはあの頃、至上のご褒美だった。カントリーマアムは、放射状に輝く超贅沢品だった。味付きの水は蜜の味。脳が震えた。

「ひとつだけだよ」
「今日はこれでおしまい」
「もうないないよ」

全てが自分以外の人間から与えられる存在。

それが今じゃどうだろう。全て自分で手に入れる。欲しいものはお金次第。
だから、あの頃欲しかったものも手が届くのに、そうしたところで同じ感動にはならない。

そのせいなの。大人になって昔の何かを取り戻そうとしても、終わりがないのは。

あんなに甘かったのに、今じゃしょっぱい味がする。

私たちが懐かしさから追い求めているのは、
“モノ”じゃなく、あの頃にしかない感情なんだと思う。
もう二度と戻れない、あの頃の感情。

人はいつまでも子供と言うけれど、本当のあの頃の自分ではいられない。
そうしたくても、時間がそれを許してくれない。
その内、揉まれて揉んでその気持ちがどんどん隅に追いやられ、圧縮されすぎてどこかに飛び散る。飛び散ったカケラのいくつかは残り続けるけど、全てをかき集めることはできない。

昔はみんな赤ちゃんだった。泣く、笑う、なんでも口に入れる、排泄する。
見るもの全てが新鮮で、興味しかなかった。自分の手足さえも不思議に眺めてた。
人の肌に触れることで心が安らぎ、ぐっすり眠った。

その頃から、もう始まってる。
私たちが生涯持てるもの、持たざるもの。


「愛」は、人生を左右する。
生まれた瞬間に、決まってしまう。
自分の持つ、「愛」の形と深さと大きさが。

抱きしめてね。命あるもの。
歪ませてはいけないよ。
取り返しなんて、できないの。
後から気付いて探しても、もうどこにもないんだよ。
彷徨わせてはいけないよ。
愛しく、慈しく思っているなら。

愛。愛。愛。

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