見出し画像

コトリバコは失われたアークが元ネタか?

ある女子大生Sが、解体される予定の納屋で「パズルのような箱」を見つけ、友人との集まりの席に持ってきたことが事の発端。その場に居合わせた神社の息子Mにより、その箱が呪いの箱である「コトリバコ」であることが判明。Mは急に嘔吐しだし、吐き終えると携帯電話で父親に電話をかけ、泣きながら、友達がコトリバコを持ってきたと話し出す。結局、Mは不慣れながらもお祓いを行い、その場の窮地を免れた、という内容である。
ここまでの話だけ聞くと、Mはなぜコトリバコに恐怖したのか?そもそも、なぜ納屋にお祓いが必要なレベルの恐ろしい箱があったのか?と疑問に思うが、読み進めると、コトリバコの箱の正体と管理に関する複雑な人間関係、山陰地方の集落に纏わる壮絶たる過去が明らかになる…。
https://kyofu.takeshobo.co.jp/news/column/2ch-horror/63/
コトリバコが初めてつくられたのは、1860年代後半と言われている。舞台は「出雲の国(現在の島根県)」のとある集落。当時、この集落に住む住民たちは周囲からひどい差別や迫害を受けていた。あまりにもひどい迫害で生活することさえ苦しく、子どもの間引き(産まれたばかりの子どもを殺すこと)も行われていたそうだ。
そんな中、1860年代後半に隠岐の島で反乱が勃発。その反乱を起こした側の中心人物(男性)が出雲の国の集落に逃げてきたところからコトリバコのエピソードが始まる。
集落の住民たちは、これ以上の厄介ごとを抱えるとさらに迫害を受けると考え、この男を殺そうとした。そこで男は命乞いをするべく、「助けてくれたら武器をやる」と提案。そう、この武器こそがコトリバコだった。
迫害や困窮に疲れ果てていた集落の住民たちにとって、確実にターゲット(の妻と子ども)を死に至らせ、一族を根絶やしにする武器の存在はとても魅力的に映っただろう。住民たちは男の提案を飲み、命を助けてやる代わりにコトリバコのつくり方を教わることにした。
(そもそも自らの子どもを間引きするほどの極限状態にあったのだから、圧力をかけてくる人々に対する脅しの意味でも、自分たちが安心して暮らせるようにするためにも、どうしてもコトリバコという強力な武器が必要だったのだろう)
集落の住民たちが初めてつくったのは、7人の子どもの死体の破片を閉じ込めた「チッポウ」。迫害を受けていた地域の庄屋に上納したところ、庄屋にいた女性・子どもは血反吐を吐いて苦しみぬいて死んだという…。
コトリバコの脅威は周辺地域にも知れ渡ることとなり、集落への圧力や干渉は一切なくなったそうだ。にもかかわらず、住民たちはその後13年にわたって計16個のコトリバコをつくり続ける。そう、自分たちの平穏な暮らしを守るために…。
つくるのを止めたきっかけは、前述の、村の子どもが自宅に持ち帰ったところ痛ましい事件が起こってしまったことだと言われる。
https://kyofu.takeshobo.co.jp/news/column/2ch-horror/63/

とあるが、この通りコトリバコは隠岐諸島という点に注目していただきたい。
隠岐諸島は飛鳥昭雄情報で日本のオノゴロ島である。
他にパンドラの箱といろいろ開けてはいけない箱の神話があり、アークからそれが変遷してそこから都市伝説となり、コトリバコが生まれたのではなかろうか?
コトリバコは、飛鳥昭雄情報でいうとプラズマ兵器である。
ルーズベルトも、アークで呪いをかけた、という伝説があり、まさに日本最大の、コトリバコである!
また、アークは飛鳥昭雄情報で玉手箱伝説にもなった、とされている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?