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240608の日記

目が覚めたら 朝日が湖畔をオレンジに染めはじめているところで とても綺麗だった。

おだやか〜


目をこすりながら肌寒いベランダへ出て 日記を書いた。
朝日がのぼり始めたので湖畔へ散歩へいった。

水鳥がすき

帰りに 気になっていた京都のパン屋さん「木色」へ立ち寄った。
写真は撮らなかったけどこじんまりとした とても好みなお店。
店の前に白い紫陽花が咲いていた。

帰って祖母とたべた餡子たっぷりなあんぱん


夕方から中学の友人と待ち合わせてご飯をたべる約束をしていた。
その前に駅前の書店へ立ち寄る。
子供の頃におかあさんによく本を買ってもらった書店のチェーン店。
独立系の本屋さんに通っていると 品揃え自体が守られていて、たまに大きい書店に行くと この本は置いて欲しくないな...って本が わりと大きな規模でずらりと棚に並んでいてすこし戸惑ってしまう。
(本屋で働いた事がないため事情が素人だけど 置かなければいけないとか あるのかもしれないが)

書店に寄った理由はパレスチナ関連の小説を手に取りたかった。
よく出る東京より地元で買いたかった。

置いていた...!


📓ハイファに戻って/太陽の男たち|ガッサーン・カナファーニー  訳:黒田寿郎 奴田原睦明


友人を駅で待っていたら、この近くで作家さんアイテムをセレクトショップを営んでいらっしゃる知り合いの方が声をかけてくれて(出会った当初、母の同級生だということが発覚する)途中から友人も巻き込んで立ち話をした。
高校以降、ほとんどを県外で過ごしたので 奈良にあまり知り合いがいなかったけれど、こうやって声をかけてもらえる人がここにも 出来たことは嬉しい。



友人とは わたしの定期的な帰省にともない、今年からよく会うようになった。
前回はスパイスカレーを一緒に作って 祖母と3人でごはんを食べた。
わたしとはまた別の分野で 福祉の仕事をしている。
わたしたちの常に曖昧な境界線の中で巻き起こる 日々のモヤモヤを対話したり 言葉にならないことを2人で紡いだり いつも気付きの連続で それがまた日常を繋いでくれる。
中学のクラスメイトということは 子供から変わりゆく瞬間を過ごした唯一の友人でもある。
だからなのか、なぜ今この考えをしているのか背景も含めて 素直な気持ちを、飾らずにはなしてしまう。
友人は モヤモヤなどを話す時に自分のメモしたノートを持ち歩いていて、わたしはままならない言葉を記憶が曖昧にしてくれたものを、ふたたびモヤモヤとして頭からだしてゆく作業をしていたから 文字をつむぐのっていいなと今年 教えてくれたのは友人。
12歳の時に小説を書いて交換ノートしてたこと覚えてるかな?

会社での出来事から「はじめて当事者性を意識した瞬間があり/もっと自分自身から発信していってもいいのかな」という友人の話に、わたし自身は上京して数年が経ち、じぶんのはなしに対して 安全を感じる場所も人も知っていて、だけど改めて東京におけるこの過ごし方は 全国を通してだと少数派であり、ちいさな東京という都市だけの話で 友人のようなもやもやが 埋没されている人が  まだまだたくさんいる事に ほとんど気付こうとしていなかったことわたしをじぶんが チクリとした。

奈良公園の周りをぐるりと散歩








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