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『「飛鳥クリニックは今日も雨」が描く悪』

 桜の代紋は歌舞伎町を浄化できるのだろうか--。『飛鳥クリニックは今日も雨』(上)(中)(下)(以下、飛鳥トリロジー)の3冊を読み終え、自問した。悪の自浄作用というとややオーバーかもしれないが、悪を倒せるのは悪なのかもしれないというのが感想だ。

 読んだ書籍に対しての解釈は十人十色。それを前提に、僕の書く内容はそのうちの一つに過ぎないと、肩の荷を軽くして読んでもらえると望外である。

 奥深くに沈むアンダーグランドな事件の数かずを、主人公のリーは追いかけ、時に事件に振り回されそうになる。

 地下に潜りすぎた犯罪は警察では取り締まりきられないのではないかというのが率直な意見だ。というのも、国家権力が踏み込めないところにまで、手口は巧妙になるから。また、事件を早く片付ける上で同じアンダーグラウンドの住人の嗅覚は、警察のそれをしのぐこともあると思えるからだ。

 見舞うトラブルの数かず――出資者に金を預けて、彼/彼女が儲かるポンジスキームという詐欺にはじまり、売春、援助交際などは取り締まりを強化すればするほど、地下に潜り込んでゆく。締め付ければ締め付けるほど、悪の手口は巧妙になる。

 その背景には巨悪とされる組織もある。アンダーグラウンドな出来ごとと巨悪に対峙(たいじ)するのは、法を盾に正義で裁く警察の仕事なのか、同じく地下に潜む町の探偵・事件屋なのか――。

 飛鳥トリロジーはそう問いかけるように思える。

 血生臭い日本の不夜城、歌舞伎町。

 とりわけ、アンダーグラウンドな世界で生き残るためには善悪の判断軸より、町のルールに従う順応力と、想定されるトラブルをかぎ分けられる嗅覚が、重要となるのではないだろうか。

 裏の世界の掟とは何か、そして、それに従わないと、どのようなペナルティーがあるのかを同著は訴えているように思える。

 上記の「ルール」――極限すれば、鉄則と言えるだろう。鉄則とその重みを如実に描いているのは、同著(中)から(下)にかけてと、僕は解釈している。というのも、(上)は掟通りに生きる、あるいは自分(たち)なりの決まりに従って生き抜いた、リーや彼の仲間がトラブルを解決するように映るからだ。

 リーと主に行動をともにする純。彼も不器用ながら、血まみれで赤く染まった世界で暗躍するための規範を心得ている。

 リーと純が20代前半のころに町のルールを、文字通り体を張りながら覚えてゆく。時に他人に危害を加え、加えられ、と身につけるまでの道のりは血生臭い。

 血色に染まる町の掟を守り、時に掟を逆手にとるようなリーたちの暗躍する姿が思い浮かぶ。今を駆ける軽快な姿だ。それでも、過去の影は振り払えない。今と過去の精算とが共存するのが(上)なのではないのだろうか。

 過去の記憶が(中)の話の軸となり、葛藤の数かずをリーは抱える。自分以上に力を持つものたちに、共生しながらも抗ってゆく。そうした過去の軌跡が軸になると思える。

(下)は過去が現在につながる。その時間軸の狭間にあったこと、過去を精算し、開かれた「今」を描いているように思えた。

 全体を通して--。上述の「悪の自浄作用」はもちろん、念頭に置いておきたいものだが、最後に締めくくりたいのは「時間」だ。いい過去の思い出に浸ろうと思っても、時計の針は右へと進む。進んだ分、時が経つ。左に振り戻ることはないのだ。

 今を生きるとは?

 過去にすがりたくても、足を踏んで目線を先に向けることと、僕は言いたい。生きることの大切さを提示している名著と締めくくる。

                (了)

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