『カマキリの雨』
寝ようとして1時間以上が経つ。何をどうしても眠れない。こんな日、というか夜中は考えがあちらこちらに飛ぶ。
で、何を言いたいんだっけ?
そうだ、長男の自死だ。
もう5年前になる。まだ5年前とも言える。
天の向こうの兄に無許可でこれを書き綴るのは、失礼な気がするから、まずは断る--。アニキの「あの日」の出来ごとを書く。ただ、アニキの嫌いな「収益」が目的でないことも添えておく。
そのうえで、あの忘れられない日のことの話を進めていきたい。
いいかな?
【突然】
その時、僕ら--次男、父、僕--は、スターバックスで久々にゆっくり時間を過ごしていた。
突然だった。
--母からの電話。「〇〇と言い合いになったの!どこかに消えて…」と、父の携帯にかかってきた。僕は「またか」と。
「まさか」と気づいたのが遅くなったことに、のちに後悔するのだが。
母と兄の言い合いは日常茶飯事だった。37歳で自宅に住む兄が衝突するのも稀ではない。繰り返しになるが、またか、だった。年に何回も繰り返される言い合いの一つ。
それで、兄がどこかへ出て行った。シンプルだな、と思っていた。
大きな見当違いと気づいたのは3時間後のことだった。
家に戻る。秋から冬に映りゆく、中間の時季だったと記憶している。悪い予感がした、と言うと、後づけになる気がする。とはいえ、いつもと何かが違うと思えた。
戻る車内に漂う緊張感と家に着いた時の違和感。その実態がなにかわかるのには、10分もかからなかった。父と僕で、兄の居場所を探した--地下室、居間の奥。
ああそうだ、最後に兄の部屋にいるかもしれない。
--初めてだった。
父が号泣する姿を見るのは。兄が、自分の部屋のタンスの柱にゴムの輪をかけて首吊り。その現場を第一に発見したのが父。抱きしめ、横に倒した姿を見たのが僕。
僕は第一発見者にあたるが、厳密には愛情を込めて育て上げた父親が、真っ先に死んだ兄の姿を見たのだ。37歳で死んだ兄の姿を。
変に冷静になれるのが人間なのだな、と思えたのが、発見者が父と僕でよかったと思えたということ。
二人以外が目の当たりにしたら、多分ノイローゼか何かで今ごろ、精神病院に入るくらいのショックをうけたのでは、と考えた。
そういえば、だ。
家族構成を言う--長女・長男(他界)・次男・僕の四人きょうだい。それと両親の計6人、だった。今は5人。
話を戻そう。
当然ショックに決まっている。その姿を思い出すたびに胸が痛み、締め付けられる。5年の歳月が経とうが、思い出す苦しみはわかる人にはわかるはず。
横たわった兄の姿--生前は両親とケンカをし、荒ぶる一面もある凶暴な兄の、一面は消え失せていた。唇は紫色で生気は全くと言っていいほどない。その一方、病院に搬送されれば、生き返ると、わずかな希望はあった。
半面、もう手遅れと諦めもあった。両方のはざまで「複雑」との言葉で表しきれないほどの、複雑な感情が渦を巻いた。言葉の枠を越えた、感情にかき乱されることは誰しもが経験するのだと思っている。
その経験の一つが、長男の自死だった。
【チャプターII】
次に進もう。
「お前らは来るな!」と父は大声で涙で震えた声を押し殺し、僕以外の皆に告げた。続けて「救急を呼べ!」と。その時点で、皆が自死、そして危篤状態にあるとわかっていた。
救急隊員はすぐさま我が家に駆けつけた。仕事が早い、と妙に感嘆したものだ。
で、助かるかどうか。
確かに、もう「手遅れ」と諦めながらも、「もしかしたら」と、わずかではあるが、希望を抱いた。
「助かりますかね?」と僕。
「ううん」と濁す救急隊員。
「難しいですね」と、とどめの一撃を別の消防隊員が言い放った。ダメか、と諦めのほうに心の針が大きく動いた。
無理か…と、すでに屍となった姿を目にしたまま、絶望した。「その時」は突然だったのだ、本当に前触れもなく。昨日まで、いや、さっきまで生の宿った姿は、もうないのだ。そこにあるのは硬化した、命のない身体のみ。
病院に搬送されることなく、死亡が確認された。おそらくあっという間だった。--転がった遺体、運ばれる遺体に声は届かない。もう諦めがついたと同時に、憤りを覚えた。
誰に?何に?
自死した兄なのか、自死せざるを得なかった要因もしくは親--遺書がなかったのでなにが原因かはいまだに不明だ。
手がかりとなるようなノートの断片はあるものの、それは線でつながらず僕をはじめ、親族一同、謎の死を遂げたとしか説明がつかない。
負の感情をぶつける先がない。これが苦しみであるとおぼえたのも、兄の死がきっかけなのかもしれない。
生前の長男について書きそびれていた。
凶暴さを持ち合わせながらも、勉強のできる優等生だった。不器用ながらもまっすぐな道を進むタイプとも換言できる。面倒見がよく7歳離れていた僕には、気前よくプレゼントをくれたりした。
ひと言で--。不器用だけど、まっすぐで太っ腹。
頭がいいものだから、ことの本質をすぐに突く。ただ、その言い方があまりにも強すぎるがゆえに、両親や次男を傷つけることも多々あった。幸い、僕は年齢が離れていたからか、あまり衝突しなかった。
そんな兄。
そんな兄が、首を吊る前日に僕にメールを送っていた。
「頑張ろう」
このメッセージが、本当のところで何を意味しているのか、掴むまでにかかる時間は長いとみている。核心に迫ろうとすればするほど、それから遠のいてしまうのかもしれない。
そのメッセージを思い返しながら、葬儀に出た。その日は死去した兄の代わりになのか、空から雨が降っていた。悲しみの雨なのだろうか。
【まるで】
最後に。
葬儀のさいに、カマキリが手のひらに乗っかった。輪廻転生や、死後の生まれ変わりなど、僕は信じていない。だが、兄の生まれ変わりは、カマキリだと、それが表れるたびに思ってしまうのだ。
昨年はカマキリが出なかった。悲しい年だな、と思った。切なさを覚えた。同時に、天に悔いなく昇れたと安心してもいる。
(了)
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