見出し画像

色んな好きがあってもいい

私は筋トレを週3日欠かさずおこなっている。

基本的にメインを「胸・背中・脚」と分けておこなっており、その他の部位はサブターゲットとして考えている。

・胸のついでに「肩」

・背中のついでに「腕」

・脚は「脚」、ついではない!

このように考えている。


この中で1番「辛く・ハード」な部位は「脚」、バーベルスクワットだ。

このバーベルスクワットをやる日は、軽く気持ちを作ってから行っている。(大げさ?)

「またあれをヤルのか・・・」

というネガティブな気持ちに、稀に負けてしまいそうになるからだ。

しかし、あの終わった後の「達成感」や「解放感」のような清々しい気持ちを知っている。

だからやめられない。

そのようなモチベーションで辛い「脚トレ」に挑んでいる。

しかし、同じトレーニーの中には「脚トレ」をやらない人が割と多い。

「俺は上半身だけデカくしたい」
「脚は辛いからやらない」

このような理由がほとんどだ。

私は以前までは、このような考え方に「否定的」だった。

「筋トレの基本はスクワットだろがぃ!」

そのような古い考え方だった。(オールドタイプ)

そんな「柔軟性」もないオールドタイプな考え方の私を、ある日変える出来事があった。


同じ「クルマ」なのに


某ラジオ番組にて「車が大好き」と投稿した人がいた。

その人は現在「オートマ車」に乗っていた。

それを聞いた他のリスナーがこのように投稿してきた。

「マニュアル車に乗ってなければ「車好き」とはいえないよ」

このように「批判」してきたのだった。

おそらくこの投稿者は「車好き」=「走り屋」のように認識しているのだろう。

私はこのラジオを聞いた時「それは違うだろう」と口から漏らしてしまった。

しかし、ある点に気づいてしまった。

それは自分も「筋トレ」に関して言えば同じ考えをもっていることだ。

「脚トレ」をやらなければトレーニーとは呼べないと心の何処かで思っていた。

これは「脚トレ」という辛いトレーニングをやらない者を「同士」として認めないという気持ちなのだと思う。

しかし、そもそも「筋トレ」ってそんなに不自由なものなのだろうか?


色んな好きがあってもいい


「筋トレ」をする理由が人それぞれあるのだから、それを干渉するべきではない。

・俺は胸を大きくしたいから「胸」だけ鍛える。

・俺は肩を大きくしたいから「肩」だけ鍛える。

・俺は腕だけ太くしたいから「腕」だけ鍛える。

このような考え方もアリな筈だ。


「腕」だけを太くしたいのに、無理して「脚トレ」をする必要はない。

これは歯が痛くて歯科医院に行ったのに「まずは検便を」と言われているようなモンである。(?)


色んな好きがあってもいいじゃないか。

自由に何かに縛られずに「風の時代」を生きて行こう。


※「脚トレ」をすると体内のテストステロンが上昇し、結果「腕」が太くなりやすくなるという仮説もあります。(神話に近い)


終わり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?