コカ・コーラと虚しさと。
「ボクシング」とは不思議なスポーツだ。
顔面や腹を殴る、とても野蛮なスポーツにも関わらず「オリンピック競技」から外れることがまず無い。(1912年のストックホルムオリンピックのみ外れた)
人が人を殴る行為、これは極めて「原始的」なことであり、人間も大昔は「野生動物」の一種だったことを本能的に分からせてくれる。
リングに上がれば、そこには「身分も地位も金持ちも」関係ない。
そこにあるのは、人間が生まれた時から宿っている「闘争本能」しかない。
そして、人がルールに則って傷つけあうこのスポーツには、様々な物語が生まれる。
今回は私の高校時代の「部活の思い出」の1コマをここに記したいと思う。
部活だけは真面目だった私
高校時代、私は「ボクシング部」に所属していた。
きっかけは単純に「周りに尊敬されたい」という浅はかな気持ちだけだった。
全国でも有名な「強豪校」。
・女子との交際厳禁。
・暴飲暴食厳禁。
・炭酸類/コカ・コーラ厳禁。
・素人との喧嘩厳禁。
様々な「厳禁制度」があったが、私はこれらの全てを忠実に守った。
中でも「コカ・コーラ」は部活の先輩に脅しのようにこう聞かされた。
先輩
「過去にコーラ飲んでいるのがバレて、コーチに殴られて前歯折られた人がいたらしいぞ。」
正直、競技上いつ折れるか分からない「前歯」をそんな理由で折られたくはない。
当時の私は先輩の話を純粋に受け取り、真面目に従い自分の歯を守っていた。
アマチュアボクシングとは
私が3年間汗を流して頑張っていた「アマチュアボクシング」は公式戦はトーナメント方式で行われ、大抵はそのトーナメントを3回~4回勝ち進めば「優勝」となる。
10オンスのグローブにヘッドギアを着用する。
私の1年から3年の選抜県予選までの最高成績は「3回戦敗退」つまり準決止まりだった。
そして3年最後のインターハイ県予選。
ここで負ければ事実上「引退」となる。(秋の国体は実績のある選手で競う)
最後のトーナメント表
毎回トーナメント表は前日に発表される。
私の階級は「ライト級」57Kg~60Kgだ。(約5Kgの減量をする)
私は壁に貼られたトーナメント表の前に行き、1回戦の対戦相手を確認した後、静かにため息をついた。
1回戦の対戦相手は同級生の「関東チャンピオン」。
私とは実力も実績も1枚も2枚も上の選手だ。
しかもその選手とは登下校いつも一緒の「友人」だった。
1回戦で、終わったな。
私は心の中でそうツイートした。
友人との試合
私は普段からこの友人とは何度も「スパーリング」をしてきた。
手の内も分かっており、その分「強さ」も重々承知であった。
「右カウンター」で脳を揺らされたことが何度もあった。
「左ボディ」を喰らい胃液が出たこともあった。
喉に投石のような「左ジャブ」をもらい呼吸困難になったこともあった。
その為「負ける」という気持ちが先行していた。
だが心の何処かで「ワンチャンあり得るんじゃね?」という気持ちもあった。
社会の荒波に巻き込まれた大人が、身分や地位やお金に勝つことはとても難しいが、これは「利害関係」の無い学生同士の戦いだ。
雄としての腕力が強ければ勝つのだ。
だから負ける為に試合をする気は無い。
ボクシングは何が起きるか分からないんだ。
当時マイク・タイソンだって、辰吉丈一郎だって楽勝と言われていたのに負けたんだ。
ましては同じ高校生で同じ体重じゃないか。
俺だって「スパーリング」ではいいのを当てている。
よし!勝てるかも知れない。
結果、2R RSC負けだった。(TKO負け)
引退とコカ・コーラ
私はロープに追い込まれ、ムキになって打ち合い「右カウンター」を喰らいダウンした。
(スパーリングの時と何も変わらない内容)
レフェリーがノーカウントで試合を止めたらしいので、それは見事な負けっぷりだったのだろう。(のちにビデオを観たが)
リングから降りてドクターに「メディカルチェック」を受け、問題ないと判断された。
私はしばらく「放心状態」になり、その後対戦した「友人」と健闘を分かち合った。
そして、おもむろに体育館の自販機の前に立ち、お金を入れ、今まで厳禁だった「コカ・コーラ」のボタンを押した。
自販機
「ガタンゴトンッ!」
自販機から出てきた「コカ・コーラ」を手に取り、それをポケットに入れた私は、フラフラと「男子トイレ」の個室に入った。
コーラ
「プシュッ!」
すぐに「コカ・コーラ」のプルタブを開け、液体を「ゴクゴクッ」と勢いよく喉に流し込んだ。
私は今まで厳禁だった「コカ・コーラ」を飲んではこう思いふけった。
私
「これで終わったんだな」
そして、これからは「普通の高校生」のように何も我慢しなくていいんだと思った。
だが、その思いとは反し、久々に飲んだ「コカ・コーラ」は大して美味くは感じなかった。
試合前に減量/水抜きをしていたにも関わらずだ。
そして感じていたのは「虚しさ」だけだった。
それはきっと、今まで我慢してきたことが、実は大したものでは無かったということを早々と体感してしまったからだろう。
私
「これで終わったんだな」
私は四十過ぎた今でも、この赤い「コカ・コーラ」を見ては、その虚しさを思い出すのであった。
終わり
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